2スト戦国時代へ ヤマハの秘策は市販レーサーと同時開発

他メーカーとの差別化は技術者の熱量と勢いから生まれた

「もう面倒くさいし、時間も掛けてらんないし、レーサーのまんま出しちまえ!」と、そんな風に誰かが言ったかどうかはさだかではありませんが、ヤマハは次期250ccレーサーレプリカのプロジェクトリーダーにYZR500(いわゆるファクトリーマシンです)のエンジニアを迎え、しかも市販レーサーTZ250と並行して開発することを決定。斬新というか、ド直球というか、効率的というか、ともかくそういう熱量と勢いの中で生み出されたマシンがTZR250でした。

ヤマハ TZR250(1985)

 実際、1985年11月に発表されたそのマシンのメインフレームは市販レーサーと同じ型で作られるほどの近似性があり、そういう本気度にファンは熱狂。それでいて扱いやすく、「ハンドリングのヤマハ」という評価が一気に広がったのです。

 メーカー間の覇権争いはこのTZR250の登場をきっかけに本格的に激化。ホンダはMVX250Fの後にNS250 R(1984年)、NSR250R(1986年~)と矢継ぎ早にニューマシンを送り出し、そこにスズキRGV250ガンマ(1988年~)とカワサキKR-1(1988年~)が彩りを添える、というのが80年代後半の250ccクラスでした。

 そんな中、当初は純然たるレーサーレプリカとして存在していたRZはいつしかフレンドリーなスポーツバイクへと立ち位置を変え、1988年のRZ250Rを最終モデルとしてその役割を終えたのです。

 一方、TZR250はそれを見届けたかのように完全に独自の進化を遂げていきます。1989年になると、前年型の市販レーサーを追いかけるように前方吸気&後方排気の並列2気筒エンジンへと刷新。乾式クラッチを装備したSP仕様もラインナップするなど、レーシングマシンとしての純度を高めていったのです。

ヤマハ YZR250(1991)

 そして1991年。この年ついにV型2気筒エンジンが搭載され、今度は市販レーサーというよりもファクトリーマシンYZR250のイメージがそこに与えられました。

 その後、幾度かのモデルチェンジを経て、1999年で生産を終了。ほぼ時を同じくして最大のライバルだったNSR250R(最後はSEグレードのみ販売)も生産を終え、このクラスにおけるレーサーレプリカブームにそっと幕が降ろされることになったのです。

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