昔は大きかった「車のバンパー」! 巨大化したのはアメリカの影響大!? 無骨な「5マイルバンパー」とは
往年のアメリカらしさあふれる巨大パンパーがむしろ「新鮮」に映る
「連邦自動車安全基準第 215号(FMVSS 215)」では、アメリカで販売されるすべての車種がこの基準を満たす必要があったため、アメリカ車やアメリカへの輸入車にかかわらず、5マイルバンパーを装着しないといけませんでした。
そのため、当時からアメリカ市場でも人気が高かった日本車や欧州車にも、5マイルバンパーが無理やり標準装備でビルトインされることに。1970年代前半の日本車は、水平基調というよりは抑揚があるデザインだったために、5マイルバンパーの後付け感は大きくなりました。
一方でこれを逆手に取り、5マイルバンパーを日本国内向けモデルに取り付けたクルマも多くありましたが、その多くは衝撃吸収ダンパーなどを備えておらず、あくまでも「外観だけが5マイルバンパー」でした。
また、フォルクスワーゲンやBMW、メルセデス・ベンツといった西ドイツ(当時)製の輸入車では、洗練されたデザインを損なうほどにバンパーの突出が目立ちました。
さらにMG、ロータス、マセラティ、ランボルギーニなどのスポーツカーにおいても、例外なく重く大きいバンパーを装備する必要がありました。
しかも当時、同時に行われていた厳しい排気ガス対策によるパワーダウンも相まって、北米向けのクルマは大きくパフォーマンスを落とすことになったのです。
しかしすべてのクルマが無骨な5マイルバンパーを持っていたわけではなく、例えばGMのポンティアック「ファイアーバード」やシボレー「コルベット」などは、ボディ形状に即したバンパーが与えられていました。
そのほかポルシェ「911」に装備した5マイルバンパーは、むしろ911のデザイン近代化に貢献しました。
このように、クルマの外観や性能に大きな影響を与えた5マイルバンパーですが、1982年5月に、バンパーの基準が改正されて試験速度が時速5マイルから2.5マイル(=時速4km/h)に緩和。クルマのデザインは自由度が増し、価格や重量も軽減されました。
とはいえ、その後もしばらくは大きなバンパーの装着は続き、日本車でも、北米仕様では前後に伸ばされたバンパーを備えていました。
面白い例としては、7代目マツダ「ファミリア」のセダンが、北米向け大型バンパーの姿(北米名:「プロテジェ」)のまま、「サプリーム」というグレードで国内販売されていたり、続く8代目「ファミリア」でも、それをベースにした教習車が、日本の教習車の全長基準4.4mを満たすために、全長を稼げる北米向けバンパーを採用していました。
北米では、現在でも時速2.5マイルというバンパー基準は存在するものの、かつてのように「いかにもアメリカ向け」というデザインはすっかり姿を消し、保険金が高額な一部のスーパースポーツカーなどを除いて、世界共通の外観に統一されつつあります。
無骨な5マイルバンパー時代のクルマは「美しくない」という意見が多いですが、逆にその独特の姿が「いかにもアメリカ車」「取ってつけたようなバンパーの面白さ」でもあり、そのスタイルを好むファンもいまだにいます。
それもまた、クルマの持つ多様な趣味性を示す興味深いポイントといえます。
あの頃の「取って付けた5マイルバンパー」といえば,レオーネグランダムでしょう.しかし同時期のエステートバン4WD・LGのそれは却ってワイルドな雰囲気になって恰好良かったですが.