日産を変えたカルロス・ゴーン氏、CEO退任までの18年間の功罪

わずか1年でのV字回復、ゴーン氏はなにをなしたか

 ゴーン氏が日産にやってきた半年後の1999(平成11)年10月に、「日産リバイバル・プラン」が発表されます。1兆円のコスト削減や工場閉鎖など、文字通りにリストラの嵐。当時、ゴーン氏が「コストカッター」と呼ばれたのも無理のない内容でした。

 ただ、いま資料を読めば、プラットフォームが24もあったり、工場稼働率がわずかに53%だったりと、経営危機も仕方ないと思わせるような効率の悪さです。ちなみに、1999年のルノー・日産アライアンスの年間生産台数は480万台でした。

 そしてゴーン氏は辣腕をふるい、2000(平成12)年度の決算で、日産はいきなり過去最高の3311億円の利益を叩き出したのです。わずか1年でのV字回復には、誰もが驚きました。

 それから日産は、プラットフォームの整理をどしどしと進めます。「サニー」や「パルサー」「プリメーラ」「ステージア」「アベニール」「ラシーン」といったクルマたちはいなくなりました。「セドリック/グロリア」や「ブルーバード」といった歴史ある車名も刷新されています。しかし、「フェアレディZ」や「GT-R」「スカイライン」といった伝統の車名は大切に守られています。また、「エクストレイル」や「ジューク」といった新しいヒット車も生まれました。世界に先がけて電気自動車の「リーフ」もリリースされています。国内導入はできませんでしたが、世界市場に「インフィニティ」ブランドを定着させることにも成功しています。また、中国市場など、世界進出も積極的に行いました。

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