もはや懐かしい! 車の「デジタルメーター」どこいった!? 時代を先取りすぎた「“来なかった”未来」とは
電子技術が急速に発展を遂げた1980年代、クルマのメーターパネルに液晶表示に変えた「デジタルメーター」のブームが巻き起こりました。あの頃のデジタルメーターとは、一体何だったのでしょうか。
ファミリーカーからワンボックス、スポーツカーまで採用された「デジパネ」
速度計に代表されるクルマのメーターパネルといえば、針が動く「アナログ式」が一般的ですが、1980年代頃からタコメーターまで液晶表示された「デジタルメーター」が各社から登場し、大いに驚かされました。
いま見ると、もはや懐かしさすら覚えるデジタルメーターの魅力について再考します。
技術が進み、電気信号による情報伝達が可能となったことを受けて登場したデジタルメーター。
メーターパネル内にあった針が姿を消し、速度を上げると黒い盤面の液晶数字が増していくというカッコよさに、当時小学生だった筆者(遠藤イヅル)は、「なんて未来的なのだろう!」と感動したことを覚えています。
日本車初のデジタルメーターは、1981年登場のトヨタ「ソアラ」(初代)に搭載された「エレクトロニック・ディスプレイメーター」です。
円形メーターが消えたパネルには、数字のみが表示されるスピードメーター、エンジンの回転数に合わせて右肩上がりに光の表示が増えてゆくタコメーターを設置。水温計や燃料計までもが、デジタル化されていました。
エンジンの回転数に合わせ、右肩上がりに表示が増えてゆくタコメーターの動きは、まさに衝撃的なものでした。
同年にデビューし、2例目のデジタルメーター採用車となったいすゞ「ピアッツァ」(初代)のデジタルメーターは、盤面を大きく取ったパネル内に、各種メーターや警告灯をグラフィカルに配置。パネル脇のサテライトスイッチとともに、溢れかえるほどの未来感を醸し出していました。
このように画期的だったデジタルメーターは人気を博し、採用車も増えていきました。
中でもトヨタでは「マークII」兄弟や「クラウン」などの上級車種以外にも、高級ワンボックスカーのはしりである「ハイエースワゴン」、ファミリーカーの「カローラ」や「コロナ」、さらにはスポーツカーの「レビン/トレノ」「セリカ」そして「スープラ」までもが、デジタルメーターを装備するようになりました。
当時はこうしたデジタルメーターに対し、「デジタルメーターパネル」を縮め「デジパネ」などと呼んでいたのを覚えています。
それ以外のメーカーも搭載車種を拡大。明るい時間だと見えにくかったデジタル表示も、FL管(蛍光管)から発光ダイオードやカラー液晶の開発により視認性が向上するなど、技術面での進化が続きました。
デザイン面でも、スバルは1984年に「レオーネ」(3代目)に「エレクトロニック・インストルメントパネル」を設定。メーターだけでなくクルーズコントロール、温度計、トリップコンピューター、各種インジケーターなどの情報が、日本初の全面液晶メーターに散りばめられていました。
一方、3Dグラフィックのようにタコメーター・水温計・燃料計を立体的に描いた日産「レパード」(2代目)のデジタルメーターも、興味深い意匠でした。
しかしデジタルメーターの元祖・ソアラはさらに先を走り、1985年には小型ブラウン管をメーターパネル内に埋め込んだ「エレクトロ・マルチビジョン」を登場させています。
ブラウン管画面にタコメーターや燃費数値、さらにはテレビ放送(!)を映せるほどに発展した「エレクトロ・マルチビジョン」は、もはや現代の液晶メーターと概念が通じるところがあり、トヨタの高い先見性を感じさせます。
これほどまでにデジタルメーターが流行したのは、当時がまさにデジタル黎明期だったため。1980年代のテクノ・SF(サイエンス・フィクション)がブームともあいまって、大いに注目を集めたのです。
当時は”エレクトロニクス”という言葉も家電などで多用され、新しい時代が来たことを感じさせました。
1981年はパーソナルコンピュータ、いわゆるパソコンを普及させた立役者である「IBM PC(IBM 5150)」が発売された年でもあります。
また映画の世界でも、1982年に世界初のCG(コンピューター・グラフィック)で製作された「TRON(トロン)」なども話題になりました。
AE86もデジタルメーターですしリトラクタブルのセリカXXも・・・