なぜ日本各地に「鎌倉街道」が存在する? 地理的にもはや関係ない? 鎌倉市通らずも存在する歴史的背景とは

軍事道路ではなく生活道路として使われた鎌倉街道もあった

 鎌倉街道は、すでに国家によって整備されていた大型の官道や地方道を繋ぐことで建設されたといいます。

 しかし、軍事道路という性質上、林の中などの目立たない場所に道がほとんどであったといわれています。

 また、時代が進むとともに、鎌倉街道は軍事道路として活用される頻度も少なくなり、江戸時代には「生活道路」として街と街を繋ぐ道路として活用されていました。

 さらに、もともと目立たない場所に存在していたことや、ほかの大きな道路に吸収されたことなどで道自体が消滅してしまうといったケースもあったようです。

 つまり、鎌倉街道は、鎌倉時代に軍事用道路として使用されていた複巣の街道が、歴史の中で次第に分断されていったという経緯があります。

 建設当初は鎌倉を目指す道路として存在していましたが、現在では細切れのようになり、各地域にその道が断片的に残されているともいえるでしょう。

現在も残る「鎌倉街道」の中には森や林を抜けるものも存在する
現在も残る「鎌倉街道」の中には森や林を抜けるものも存在する

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 鎌倉街道は鎌倉時代の中でも、軍事街道として使用されていました。

 しかし、時代の変化とともに軍事用道路としての意味をなくし、江戸時代以降では生活用道路として存在し続けていることが分かります。

 また、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には鎌倉往還、鎌倉路などと記されていますが、江戸時代になると鎌倉街道と呼ばれるようになりました。現在でもその呼称が各地で使われています。

 鎌倉街道として今も残り続けている道路の歴史を詳しく調べると、また違った知見や風景を感じることができるかもしれません。

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Writer: PeacockBlue K.K. 瓜生洋明

自動車系インターネット・メディア、大手IT企業、外資系出版社を経て、2017年にPeacock Blue K.K./株式会社ピーコックブルーを創業。グローバルな視点にもとづくビジネスコラムから人文科学の知識を活かしたオリジナルコラムまで、その守備範囲は多岐にわたる。

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