なぜ日本各地に「鎌倉街道」が存在する? 地理的にもはや関係ない? 鎌倉市通らずも存在する歴史的背景とは
日本の道路には「国道●号線」や「県道●号線」といった正式名称以外に通称名で呼ばれることがあります。なかでも関東圏のあちらこちらに「鎌倉街道」が存在しますが、なぜ鎌倉市を通っていないにも関わらず、その名が用いられるのでしょうか。
なぜ「鎌倉街道」は鎌倉を目指していないのか
全国各地に点在する「鎌倉街道」と呼ばれる道路の名称は、鎌倉を目指していない、もしくは鎌倉を通っていないにも関わらず名称が与えられています。
なぜ、鎌倉街道と名付けられ、それぞれにはどのような意味があるのでしょうか。
道路の名称は道路の目的地や道路が通る地域によって関係する名称が付けられています。
幹線道路には、「国道●号線」や「県道●号線」といった正式名称がつけられていますが、それらの道路にはほとんどに通称名が存在します。
一般的にその道路が通る地域や目的地の名称がその通称名となります。
一方で、関東圏のあちらこちらに「鎌倉街道」が存在します。
これらの道路の中には鎌倉を経由していなかったり、鎌倉を目的地としていない道路もあります。それでは、なぜ鎌倉街道という通称名がつけられているのでしょうか。
鎌倉街道と呼ばれる理由には、鎌倉を取り巻く歴史的な背景が大きく関係しています。
伝統的な日本の中でも「鎌倉」は、重要な役割を担っている街として有名です。
1185年に源頼朝が相模国鎌倉に鎌倉幕府を開いたこともあり、それから150年に渡り長く続く鎌倉時代が始まりました。
ただ、京都を中心とした朝廷勢力は、鎌倉幕府から脅威として認識されていました。
関東の武士を中心に作られた鎌倉幕府は、朝廷勢力からの有事に備えて、関東地方の御家人がすぐに鎌倉へと集合できる状況を作り出す必要があります。
そのため、幕府は鎌倉街道を建設し、関東の軍事道路として交通網を整備しました。
また、当時の鎌倉幕府は「東国15か国」を支配下としていました。東国15か国とは、現在の静岡県、長野県、山梨県、千葉県、栃木県、茨城県、福島県、山形県、秋田県、宮城県、岩手県、青森県が該当します。
この東国15か国の御家人が、交代で鎌倉幕府に訪れていた際にも鎌倉街道は使用されていました。
「いざ鎌倉」という言葉もあるように、関東の御家人は一大事や緊急時に鎌倉に素早く馳せ参じるという心意気を見せていたといわれています。
鎌倉街道は、幕府と関東の御家人を繋ぐための軍事用の道路としてその役割を果たしていました。
東国十五ヶ国の現代の県名に群馬が抜けています。
「軍事道路という性質上、林の中などの目立たない場所に道がほとんどであったといわれています。」
それは納得いかないです。
龍飛岬の階段国道339号線は別の理由だったかと。
あ、誤爆しました。