東京・京都とは違う…なぜ大阪の道路に「筋」と「通」が存在? 歴史的背景とは
大阪には御堂筋や心斎橋筋、堺筋といった「筋」と呼ばれる道路があります。大阪以外では、神戸など一部の地域でしか見られない「筋」ですが、「通(通り)」などとはどのように異なるのでしょうか。
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大阪市内を移動していると、「筋」と呼ばれる道路がありますが、一方で、曽根崎通や千日前通など「通(通り)」の一般的な名称が名付けられた道路も存在します。
では、大阪の人々の生活に深く根ざしている「筋」と「通」は、いったいどのような違いがあるのでしょうか。
現在、大阪には筋と名の付く道路が約20路線存在しており、御堂筋や心斎橋筋、堺筋などその多くが主要な幹線道路となっています。
これは、「東京などにおける『通(通り)』を、大阪では『筋』と呼ぶ」という単純な話ではありません。
ただ、「筋」が南北を結び、「通」が東西を結ぶ道路であることは、大阪に住む人は自然と理解しているといいます。
では、筋と通の名称の違いにはどういった背景があるのでしょうか。
京都や札幌には、東西を走る道路と南北を走る道路が組み合わされた、いわゆる「碁盤の目」状の都市となっていることはよく知られていますが、実は大阪もそのような形状となっています。
この3つの都市に共通しているのは、その時の為政者によって作られた計画都市であるという点です。
京都は794年に平安京を建設した桓武天皇によって、札幌は1869年以降に明治政府によって「碁盤の目」の基礎が形づくられました。
大阪の場合、豊臣秀吉が大阪城を築城した1583年以降に、現在につながる道路網が整備されたようです。
歴史的には、大阪城から東西に伸びる中央大通がはじめに整備され、その後、人口の増加にともなって長堀通や千日前通なども発展してきたといいます。
つまり、東西に伸びる「通」は、人が住む街として形成されていったということになります。
一方の「筋」は、「通」と「通」を結び、その先の目的地へ向かうための道路という意味合いが強かったようです。
例えば、御堂筋は「北御堂(本願寺派本願寺津村別院)」と「南御堂(真宗大谷派難波別院)」という、浄土真宗の寺院へと向かうためのものとして、堺筋は、当時の貿易の拠点となっていた堺の港へと向かうためのものとして整備されました。
豊臣秀吉によって計画された当初は「通」が4.3間(約7.8m)と定められていたのに対し、「筋」はそれよりも狭い3.3間(約5.5m)とされていたといいます。
御堂筋をはじめ、現在では大阪の大動脈となっている「筋」の数々ですが、歴史的に見れば、あくまで「通」の方がメインであり、「筋」は「通」を補完する副次的な役割を担っていたようです。
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