トヨタや日産が国内の「新車」を鉄道貨物で輸送!? かつて「クルマ専用」の貨物列車があった!【鉄道150年】
2022年10月14日、新橋-横浜に鉄道が開業してから150年が経ちました。日本の発展を支えてきた鉄道ですが、同じく戦後の国内経済をけん引してきた「自動車」輸送にも大きく貢献していたことはあまり知られていません。合理化の波で消えてしまった「車運車」について紹介します。
「トラック」のライバル「鉄道貨物輸送」で「新車」が運ばれていた時代
自動車メーカーの工場から出荷される新車の輸送。大型船への積み込みシーンや、街道や高速道路を走るキャリアカー(車載専用車)が走っているのを見たことがある人は多いでしょう。
しかも以前は、クルマの「ライバル」である鉄道が運んでいたこともありました。
鉄道貨物合理化の波で消えてしまった「車運車」の歴史について、貴重な写真とともに振り返ります。
明治5年(1872年)10月14日、新橋と横浜の間に鉄道が開通してから、2022年で150年が経過しました。
明治維新以降、日本の近代化や経済成長とともに発展してきた鉄道は、旅客輸送のみならず、全国の物流を支える貨物輸送も大きな柱です。
戦後の急速なモータリゼーションの進展で、トラックによる貨物輸送は「ライバル」ともいえる関係ですが、そんな鉄道貨物で「クルマ」が輸送されていた時代もありました。
クルマの鉄道輸送がスタートしたのは、国産乗用車が出現する前の1950年代。
黎明期の自動車輸送は、無蓋車(むがいしゃ:いわゆる屋根のない貨車)にそのまま載せるという方法でしたが、積載効率が悪くコストがかかるため、輸送手段として普及しませんでした。
1960年代にマイカー時代が到来すると、トヨタや日産などの国内自動車メーカーは、鉄道の活用による輸送コスト削減に期待して、新車輸送用貨車の検討を開始します。
そして1962年に登場したのが、トヨタの小型車「パブリカ」の輸送専用に開発されたトヨタの私有貨車(国鉄が保有する貨車に対して、メーカーが所有する貨車は、私有貨車と呼ばれる)「シム1000形」でした。
全長8.7mの2軸貨車で、下段に4台、上段に2台を、縦積み(レール方向)に載せることができました。
翌年には、ダイハツが所有する「シム2000形」が誕生。全長10mに満たない小さな貨車にクルマを横向き(枕木方向)に積むという方法で、「ハイゼット」などの360cc軽自動車を6台、小型車の「コンパーノ」なら4台積載可能でした。
続いて1965年、三菱重工業(1970年に三菱自動車工業へ独立化)が自動車輸送向けに自社開発・製造した「シム3000形」では、下段に軽自動車を6台横積みし、上段に3台縦積みする合計9台の積載を実現しました。
このほか、日産は「ブルーバード」を12台載せられる「ク300形」を、マツダは一般的な無蓋車「トラ30000形」を改造した貨車を、数両所有していました。
なお1965年に各車運車は、形式を「クム1000」「クム2000」「クム3000」に改めています。
しかしこれらの貨車は、積み降ろしに時間がかかる(シム1000形では、積み降ろしにクレーンを要した)ことや、積載するクルマが限定されていたこと、モデルチェンジに合わせて固定装置の対応が都度必要だったこと、後述の新型車運車「ク5000形」登場などの理由から、活躍の機会はいずれも短期間で終わりました。
なおシムの「シ」は、大きな貨物を運ぶ「大物車」を意味し、「ク」は「車運車」を指します。「ム」は貨車の重量記号で、14t未満は無表記、それ以降は重たい順に「ム」「ラ」「サ」「キ」が与えられます。
これからは貨物輸送が見る直される時代が来ると思います。
原因は運転手の減少、エネルギー問題、速達性を求められます。
鉄道は海運を内陸に替える手段でした。
旅客輸送は減少していきます、これがしおめです。新幹線を利用するチャンスです。
道路や港湾の整備は税金により行われる。一方鉄路は鉄道会社(JR)が主となる。
このインフラ投資の費用負担の差異が輸送コストにあらわれる。鉄道輸送はなかなか恵まれない。