「概念変える走り」実現? トヨタ新型「クラウン」はSUV化も走りに自信!? 今から「期待しかない」理由とは
トヨタ16代目新型「クラウン」(クロスオーバー)は、横置きFFベースのAWDを採用。従来のFRレイアウトから変更されるほか、トヨタの誇る最新技術がフル活用されるといいます。果たして、どのような走行フィールになると予想されているのでしょうか。
急転直下のプロジェクトで誕生した16代目「クラウン」
トヨタの乗用車ラインアップのなかで「顔」となる存在が、「ヤリス」、「カローラ」、そして「クラウン」でしょう。どのモデルも長い歴史を持っていますが、豊田章男社長は「ロングセラーだからこそ、今後も生き残るためには変わる必要がある」と語り、変革を実行してきました。
ただ、そのアプローチが全て異なっているのが興味深いところです。
ヤリスは1961年に登場したトヨタの大衆車の源流「パブリカ」の末裔です。ベーシックコンパクトカーという立ち位置は不変ながらも、時代に合わせてスターレット→ヴィッツ→ヤリスとネーミングやコンセプトを変えながら変革を遂げています。
カローラはパブリカの上級モデルとして1966年に登場。以後、50年以上に渡る歴史を刻んできましたが、変革となった12代目のコンセプトは「ユーザーの期待値を上回る価値の提供」、つまり「原点に戻る」でした。
その実現のために、仕向け地によってバラバラだった車種体系をグローバルで一本化……という決断をおこなっています。
クラウンは1955年に登場以降、「日本の高級車」という軸をぶらすことなく進化・熟成を重ねてきましたが、その長い歴史が逆に足かせとなり保守的に。
そこで16代目は、クラウンのDNA「革新と挑戦」の再構築のために、「セダン」、「日本専用車」からの脱却、そして、多様化するニーズに対応すべくこれまでの概念を覆す複数のボディバリエーションを用意しました。
どのモデルもトヨタの「もっといいクルマづくり」が色濃く反映されているのはいうまでもありませんが、そのなかでもクラウンの変貌ぶりは世のなかに大きなインパクトを与えました。
なぜ、そこまでしてクラウンを変える必要があったのでしょうか。それは歴史を振り返るとヒントがありました。
クラウンの歴史を振り返っていくと、成功の裏に数々の失敗も……。それが故にコンセプトやデザイン、モデルバリエーションなどを保守的にしてしまった事も否めません。また、2000年以降は日本専用車であることが進化の妨げになったのも事実です。
さらにセダン市場の縮小、レクサスブランドの日本展開、アルファード/ヴェルファイアの存在、さらには輸入車の進出などにより、次第に存在感が薄れていきました。すると、ユーザーの心理は「いつかはクラウン」から「誰でもクラウン」を経て「本当にクラウンでいいの?」に変わっていきました。
要するに、クラウンの知名度は高いけど、どこか「他人事のクルマ」という存在になってしまったのだと思います。
しかし、トヨタはただ指を咥えて見ていただけでなく「変わる」ための努力はしていました。その筆頭が豊田章男社長です。彼は「一目見て、『欲しい!!』、そう思えるクルマにするなら何を変えてもいい」と開発陣にハッパをかけたといいます。
そんななかで生まれた14代目は特徴的なデザイン、15代目はTNGAのフル活用で日本専用車ながら海外で通用する走りを手に入れましたが、好転せず。つまり、見た目や走りが変わるだけではダメで根本から変える必要があると考えたのです。
「このままではクラウンは終わってしまう。何としてでもクラウンの新しい時代を作らなければならない!!」
そんな経緯から生まれたのが16代目です。
実は開発チームは「満を持して……」ではなく、急転直下で生まれたプロジェクトだったそうです。
計画がスタートしたのは約2年前、元々は15代目のマイナーチェンジが進められていたといいます。
そのスケッチを見た豊田社長から「本当にこれでクラウンが進化できるのか?」、「マイナーチェンジを飛ばしてもいいので、もっと本気で考えてみてほしい」という提案で、16代目の開発がスタートしたといいます。
開発チームはこれまでの固定概念は全て捨て決断したのが、クラウンの呪縛を取る事……つまり、セダンと日本専用車からの脱却でした。さらに「皆が求めるクラウンはひとつじゃない」ということで、複数のモデルバリエーションを用意しました。
それがセダン+SUVの発想で生まれた「クロスオーバー」、エモーショナルなスポーツSUV「スポーツ」、アクティブライフを楽しむ相棒「エステート」、そして正統派サルーン「セダン」の4台です。
クロスオーバー/スポーツ/エステートはわかりますが、セダンをやめるといいながらセダンが残っているのはなぜか。
実はセダンの開発を指示したのは豊田社長です。中嶋プレジデントは「正直いうと、耳を疑った」といいますが、同時に「セダンの呪縛が解けた今だからこそ、新たな発想でセダンを作りなさい」という問いかけに聞こえたそうです。
豊田社長はこの4台のクラウンを見て、開発陣に「ちょっと調子に乗りすぎていない? でも、これは面白いね」、そして試験車両のステアリングを握って「これぞ、新時代のクラウンだね」と語ったといいます。
こんどのクラウンは、大人が子供の衣装をかりて来た様なものだ。