まさにバブル景気によって誕生した車たち! 超絶バブリーなクーペ3選
1980年代の後半から1990年代初頭にかけて、日本は好景気にわいていました。いわゆる「バブル景気」です。同時期には数多くの名車が誕生しましたが、なかには好景気ならではというクルマも存在しました。そこで、まさにバブルの申し子といえるクーペを、3車種ピックアップして紹介します。
バブル景気を象徴するようなクーペを振り返る
「景気は気から」という言葉がありますが、近年の日本では景気が良いと感じている人は少ないのではないでしょうか。一方、1980年代の後半から1990年代初頭にかけて、日本は未曾有の好景気にわいていました。いわゆる「バブル景気」です。
バブル景気の頃は日経平均株価の上昇や、土地や建物など不動産価格が上がり、各企業の求人も超売り手市場といわれるなど誰もが好景気を実感できました。
また、自動車業界も好景気を背景に潤沢な開発費を投入してクルマづくりをおこない、数多くの名車が誕生しました。
さらに、バブル景気を象徴するようなクルマも存在。そこで、まさにバブルの申し子といえるクーペを、3車種ピックアップして紹介します。
●ユーノス「コスモ」
マツダは1967年に、量産車としては世界初のロータリーエンジンを搭載した「コスモスポーツ」を発売しました。斬新なデザインの2シータースポーツカーで、ロータリーエンジンの高性能さを世に知らしめました。
このコスモスポーツの末裔といえるモデルが、1990年に登場したユーノス「コスモ」です。
ロータリーエンジン専用の2ドアクーペとして開発されたコスモの外観はロングノーズが印象的で、伸びやかかつロー&ワイドなスタンスの美しいスタイリングを実現していました。
そして、上位グレードのエンジンは、新開発された世界初の654cc×3ローター・シーケンシャルツインターボ「20B型」を搭載し最高出力は280馬力を発揮。スタンダードグレードでも最高出力230馬力の654cc×2ローター・シーケンシャルツインターボの「13B型」エンジンで、十分にパワフルでした。
また、内装もバブル景気を象徴するようにゴージャスで、3ローター車の「TYPE E」グレードにはシートや内張りに本革素材が惜しみなく使われ、インパネには本木目のパネル、イグニッションをONにすると浮かび上がるイルミネーションメーターや、「CCS」と呼称された世界初のGPSカーナビゲーションを設定するなど、豪華かつハイテク満載に仕立てられていました。
さらにエコ性能などまったく考慮されず、カタログ燃費(10モード)は3ローター車で6.1km/L、2ローター車でも6.9km/Lと極悪で、普通に走って3~4km/L台といわれる実燃費も、バブル景気ならではといえました。
その後、バブル崩壊とともにコスモの販売は低迷し、1996年に生産を終了。3ローターエンジンはコスモ以外に搭載されることなく消滅するなど、すべてがバブリーでした。
●トヨタ「セラ」
かつて、トヨタがつくるクルマは「80点主義」と呼ばれ、比較的堅実なモデルが多いというイメージが定着していました。
一方、歴代車にはかなりユニークなクルマも存在し、なかでも代表的なモデルとして挙げられるのが1990年に発売された「セラ」です。
セラは1987年の東京モーターショーに出品されたコンセプトカー「AXV-II」を市販化したモデルで、「スターレット」のプラットフォームをベースに開発されました。
ボディは丸みを帯びた比較的オーソドックスな3ドアハッチバックのファストバッククーペですが、最大の特徴だったのがガルウイングドア(現在は「バタフライドア」と呼称)を採用していたことでした。
トヨタはセラにバタフライドアを採用するにあたって、入念なつくり込みをおこなっており、たとえばドアを支える油圧ダンパーは気温差による作動への影響を防ぐため、温度補償機構が組み込まれました。
また、ルーフも含めキャビンのほとんどがガラスで覆われていたことから、夏場には車内の温度上昇も激しく、当時のコンパクトカーでは異例ともいえるオートエアコンを標準装備していました。
ラインナップは1グレードのみの展開で、エンジンは最高出力110馬力の1.5リッター直列4気筒を搭載し、トランスミッションは5速MTと4速ATが選べました。
かなり高コストだったと想像できるセラでしたが、当時の新車価格は160万円(東京価格、消費税含まず)からと安価に設定され、かなりのバーゲンプライスでした。
しかし、あまりにも個性的すぎたためかセラはヒットすることなく、1995年に生産を終了。セラの開発にゴーサインが出たのは、まさにバブル景気ならではといえるでしょう。
●オーテック・ザガート「ステルビオ」
日産はバブル景気の頃に初代「シーマ」「S13型 シルビア」「R32型 スカイラインGT-R」「Z32型 フェアレディZ」「P10型 プリメーラ」と、今も語り継がれる名車を数多く輩出しました。
そして、1989年には日産とオーテックジャパン、イタリアのザガートが共同開発したクーペの、オーテック・ザガート「ステルビオ」が登場。
ザガートは主にアルファロメオやランチアのクルマをベースにした特別なスポーツカー、レーシングカーを仕立てていた長い歴史のある名門カロッツェリアです。
プラットフォームは2代目「レパード」から用いられ、外観はザガートの手によるアグレッシブなデザインの2ドアクーペにつくり替えられていました。
最大の特徴はボンネットに内蔵されたフェンダーミラーの造形で、ダブルバブルのルーフやリアまわりのデザインにはザガートのアイデンティティが色濃く反映されており、レパードの面影はまったくありませんでした。
一方、内装はレパードの意匠と大きく変わっていませんでしたが、ダッシュボードやシート、ドアトリムなどに本革素材が惜しみなく使われ、メーターパネルやセンターコンソールは本木目とされるなど、高級なGTカーにふさわしい仕立てとなっていました。
搭載されたエンジンは最高出力280馬力を発揮する3リッターV型6気筒シングルターボの「VG30DET型」で、オーテックジャパンが専用にチューニングをおこない、トランスミッションは4速ATのみです。
生産はベースとなるレパードのモノコックシャシを日本からザガートに送り、アルミ製のボディパネルやカーボンファイバー製ボンネットなどをザガートが架装して再度日本に輸入。最終的にオーテックジャパンが仕上げて販売されました。
200台の限定生産で日本のみならず海外でも販売されましたが、当時、日本での価格は1870万円(消費税含まず)と、初代シーマの3倍以上もの高額な設定でした。
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当時、マツダは5つの販売チェンルを展開し、車種のラインナップ数も拡大していましたが、バブル崩壊とともに急激に業績が悪化。後にフォード傘下となりました。
また、日産はバブル期の過剰な設備投資と膨れ上がった開発費から、やはりバブル崩壊後に経営状況が悪化して回復できず、ルノー傘下になったのも記憶に新しいところでしょう。
このようにバブル景気は多くの名車を世に送り出したのと同時に、大きな爪痕を残しました。
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