高価格の日産「シーマ」がバカ売れだったバブル期の「シーマ現象」とは何だったのか?
1980年代末期、当時の最高価格車だった日産「シーマ」が異常に売れ、後の時代に「シーマ現象」という言葉が誕生しました。しかし単にシーマが売れただけでなく、その裏には庶民の悲しい事情があったのです。
バブルの成功者に選ばれた日産「シーマ」
女優の伊藤かずえさんの愛車のレストアを日産がおこなうとして、いま大いに注目されている初代「シーマ」は、1988年1月に発売されました。
正式名称は「セドリックシーマ」「グロリアシーマ」、型式も「FPY31」と、それぞれセドリックとグロリアの上級バリエーションとして設定された車種でした。
そしてこのシーマはバブル景気期間中に飛ぶように売れ、高価格の乗用車がバカ売れしたことが後に「シーマ現象」と呼ばれるようになり、当時の旺盛な消費活動を象徴する言葉として使用されています。
ところが、シーマが突然登場して突然売れたのではなく、世相や時代背景の変化や偶然が複雑に絡み合って売れたのです。
日本は1973年と1979年の石油危機後、アメリカに集中的に製品を輸出して黒字を得る国となり、高度経済成長を遂げた日本をたたえる風潮が見られるようになりました。
一方、1983年のNHK朝ドラマは「おしん」を放送。太平洋戦争前後を生きた主人公を描き、戦時中の記憶がある世代に「おしん」ブームが起こりました。
このブームは、「太平洋戦争中の苦労を忘れない」ことの最後の現れだったのかもしれません。
そして1985年、通称「プラザ合意」が開催されて円安ドル高傾向が是正。急激な円高ドル安となり、輸出産業は価格競争上不利な立場に追い込まれ、その対策として、国産車メーカーは国内需要を強化する「内需拡大」に転換しました。
これらの状況から、おしんブームの「節約」や「苦労」は、国のためにならないことになっていったのです。
※ ※ ※
シーマ以前の3ナンバー車は、5ナンバー車のバンパーやサイドプロテクションモールを大型化することでサイズを拡大していました。これは3ナンバー車の自動車税額が高額で、販売の主力が5ナンバー車だったことに起因します。
そんななか、1987年に発売されるトヨタ「クラウン」が3ナンバー用ボディのモデルを発売するとのうわさから、日産は急遽3ナンバー用ボディのシーマの開発を始めたとされています。
ところが、クラウンの3ナンバー用ボディは5ナンバー用ボディと似たイメージで、インパクトが小さかったのです。
一方、シーマは開発が遅れたために、セドリック・グロリア発売から8ヶ月後の1988年1月、大幅に異なるスタイルで登場しました。
また最上級グレードのエンジンは255馬力の3リッターV型6気筒DOHCターボと、従来の高級車にはない高出力を誇ったのです。
急加速時のシーマは、強力なエンジンパワーからリヤサスペンションを沈み込ませてタイヤのキャンバー角が大きく変化。いかにも力強いクルマのイメージが漂いました。
そんなシーマの最上級グレードの価格は、当時としては破格の510万円。先代セドリックの売れ筋グレードは300万円から350万円でしたから、約1.5倍に当たります。
また、当時の国家公務員大卒総統初任給は14万1000円だったので、36か月分に相当します。
そんな高額車ながら、シーマは1988年だけで3万7000台も販売されました。
シーマは、「発売開始時期の違いの偶然」、「スタイルの違い」、「高級車にハイパワーエンジンの特殊性」により、セドリック・グロリアとは別物という評判を得たゆえの成績かもしれません。
新しい高級車像から、シーマは成功者に選ばれる高級車となっていったのです。
現行型はいい加減フーガと取捨選択したほうがいい