「V12でなければフェラーリにあらず」に異論を唱える跳ね馬とは? 名機「ディーノV6」までの系譜
フェラーリにもあった直列6気筒モデルとは
直列4気筒エンジンを搭載したGPマシン/レーシングスポーツたちの成功の陰に隠れてしまっているようだが、実はフェラーリとアウレリオ・ランプレーディ博士は、既存の直列4気筒DOHCエンジンに、もう2気筒を追加したような直列6気筒DOHCエンジンを、ル・マン24時間をはじめとするレースに実戦投入していた。
●実は、直列6気筒を搭載するフェラーリ・レーシングスポーツも存在した
仮想ライバルとしたのは、ジャガーの歴史的名作「Dタイプ」だ。1954年に実戦配備されたDタイプは、翌1955年のル・マンで優勝。さらにサテライトチームの「エキュリー・エコッス」に委ねられた1956年と1957年にも優勝し、ル・マン3連勝を果たすことになるのだが、フェラーリではその牙城に挑むべく、同じく直列6気筒エンジンを搭載するレーシングスポーツカーの開発に着手した。
端緒となったのは、現在では「306S」と呼ばれる3リッターモデルだ。これは500系の2リッター直4エンジンに、そのまま2気筒をプラスしたものだったという。
ただ、この排気量ではライバルには敵わないと判断したのか、実戦には投入されることのないまま、3.7リッターにエンジンを拡大した「118LM」へと進化する。「118」とは、エンジンの形式名からつけられたコードナンバーにちなんだ車名で、現在のフェラーリ公式HPでは「376S」と呼ばれているようだ。
1955年に4台が製作されたという118LMは、「ジーロ・ディ・シチリア」優勝などの戦果を獲得するも、ほどなく全車が4.4リッター直6エンジンを搭載する「121LM(446Sまたは735LMとも呼ばれる)」にアップデートされることになった。
これら一連の6気筒モデルに組み合わされたシャシや、スカリエッティ製のバルケッタ型ボディは、同時代の「750モンツァ」に最小限の改良を加えたものだったという。
こうして最大の目的である1955年のル・マン24時間レースにてデビューした121LMは、排気量の大きさを生かしてファステストラップをたたき出すなどの速さを見せるが、エントリーした3台すべてがリタイアすることになってしまう。
その後1957年シーズンより、3000cc以下のレーシングスポーツカーが世界スポーツカー選手権の対象となったことを受け、既存の「250GT」用3リッターV12エンジンを高度にチューンした「250テスタロッサ」を開発。
そして、250テスタロッサがデビュー早々から素晴らしい成績を上げたことによって行き場を失った121LMは、南北アメリカ大陸に活路を見出そうとするが、ここでも大きな戦果を挙げることなくフェードアウトすることになった。
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