なぜ日産新型「フェアレディZ」は米国発表? プロトタイプと市販モデルで発表の場が異なる理由とは
いまの日産があるのは、フェアレディZのおかげ?
1969年に登場した初代フェアレディZは、国産車でありながらアメリカを意識したスタイルをもったスポーツカーとして、当初から話題を呼びました。そして、翌1970年には、北米仕様が「ダットサン 240Z」として販売を開始します。
スタイリッシュなデザインと、パワフルな2.4リッター直列6気筒エンジンを搭載し、それでいておよそ3600ドルという安価な価格で登場した240Zは、またたく間に北米市場を席巻しました。
全世界で50万台以上販売された初代フェアレディZ(240Z)のうち、日本仕様は8万台程度であり、残りのほとんどは北米市場だったといわれています。
しかし、日産にとって、240Zは単なるベストセラー車以上の価値があるといえます。
1960年代、高度経済成長期を迎えた日本において、自動車産業も大きな成長を遂げます。
自動車メーカーの多くは、外貨を獲得するために北米市場への輸出を画策しますが、当時世界の自動車大国を標榜していたアメリカの国民たちに対して、満足されるようなクルマを開発することができていませんでした。
1970年代になり、トヨタやホンダなどが徐々に北米市場攻略の足がかりをつかむなかで、日産は攻めあぐねていたといわれています。
そんななかで、まず「510型 ブルーバード(ダットサン 510)」が先達を努め、日産の切り札として用意したのがフェアレディZ(240Z)だったのです。
北米市場で510がスマッシュヒットし、フェアレディZ(240Z)が爆発的なヒットを記録したことで、アメリカの人々は「ダットサン」そして「日産」の名を胸に刻み込むことになります。
その後、1980年代になり、日産をはじめとする日系自動車メーカー各社は北米市場を飲み込む勢いでシェアを高めることになります。
現在、世界の主要市場のなかで、日産車の新車販売台数がもっとも多いのは中国で、北米市場は中国に次ぐ2番手です。
しかし、北米市場は「ローグ(日本名:エクストレイル)」や「アルティマ」、「セントラ」といった中、上級車の販売割合が多く、まさに日産にとっての「ドル箱市場」といえます。
その足がかりとなったのが初代フェアレディZ(240Z)なのです。日産が新型フェアレディZのワールドプレミアの場にアメリカを選んだのは、フェアレディZにとっての現在の最重要市場であるということだけではなく、過去へのリスペクトという視点もあるのかもしれません。
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歴史的背景があるとはいえ、日本を代表するスポーツカーが、日本で発表されなかったことを残念に思う人もいるかもしれません。
ただ、プロトタイプ版のフェアレディZは、2020年9月に日本国内で世界初公開されています。
プロトタイプのエクステリアは今回発表されたものとほとんど変わらないことから、新型フェアレディZを初めて目の当たりにしたのは、事実上、日本のファンたちであったといえます。
このように、プロトタイプと市販版の発表場所をわけたのは、日産によるファンたちへの配慮があったといえそうです。
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