BMWがベンツに吸収合併される!? 危機を救ったノイエクラッセ「1500」誕生から60周年
ノイエクラッセからアルピナも誕生した!
1500の開発にあたり、BMWは自ら「ノイエ・クラッセ」を標榜し、ゆるぎない自信のほどをうかがわせた。これは、従来同じカテゴリーで製作されたいかなるサルーンと比較しても、走行性能や操縦性、快適性、さらには安全性に至るまで遥かに上回っているため、もはや新しいクラス分けが必要という企業スタンスをアピールしたキャッチだったのだ。
しかも、彼らの自信に満ち溢れたコミットメントは、1960年代初頭の自動車界の技術レベルにおいては、すべて真実と認めざるを得ないものであったようだ。
●“新しいクラス”とチューニング文化を構築することに成功
こうしてショーデビューの1年後、1962年10月からデリバリーが開始された1500は、BMW復活を期して多大な投資をおこなったクヴァント・ファミリーをはじめとする首脳陣の期待に応えて、同社始まって以来の大ヒットを博した。
しかしBMW技術陣は開発の手綱を緩めることなく、次々とノイエ・クラッセの排気量拡大/改良モデルを世に送り出していく。まずは1500の正式リリース翌年にあたる1963年に、エンジンを1773ccに拡大した上級バージョン「1800」が登場。さらにツインキャブレター化した高性能版「1800TI」も設定された。
次いで、ノイエ・クラッセの発表以来ベーシックレンジを守った1500は、1964年から1573ccの「1600」にとって代わられる。また1966年には、最上級バージョンとして「2000」および「2000TI」、クーゲルフィッシャー製インジェクションによって130psを発生する「2000tii」も追加設定される。
その傍ら、一連のノイエ・クラッセのホイールベースや全長/全幅を短縮、2ドア化した「1600−2」が1966年に新シリーズとして追加設定された。その2リッター版が、のちにノイエ・クラッセと同等かそれ以上の名車として称賛される「2002」シリーズとなったのである。
そして1972年、ついに現行に至る5シリーズの開祖としてE12型「520」がデビュー。BMWの命運を切り拓いたノイエ・クラッセは、静かに歴史の幕を下ろしたのだ。
ところで、BMWノイエ・クラッセの卓越したパフォーマンスは、モータースポーツの分野でもいかんなく発揮されることになる。
とくに、この時代からヨーロッパで人気を高めていたツーリングカーレースに向けて、130psに増強した1800ccエンジンに5速MTを組み合わせたエボリューションモデル「1800TI/SA」を1964年から200台のみ生産。1965年の「スパ・フランコルシャン24時間レース」で総合優勝を果たすなど、輝かしい戦果を収めた。
加えて、当時の西ドイツで勃興しつつあったチューニングブランドにとってもノイエ・クラッセは最高の素材となったのだが、そんなチューナーのなかでも代表格として挙げるべきが、1965年に創業された「アルピナ(ALPINA)」であろう。
アルピナは、ブルカルト・ボーフェンジーペンが設立したチューニング専門工房である。もともとは自身の趣味として、BMW1500純正のソレックス製シングルキャプレターを、ウェーバー社製のキャブレター2基へと変更するためのマニフォールドを開発したことに端を発し、当初は友人たちのリクエストに応じてBMW各モデルのチューンを手掛けてゆく。
ところが、ボーフェンジーペンの技術力はあっという間に知れ渡り、アルピナ創業とほぼ時を同じくしてBMW本社の公認を獲得することになってしまう。
そして、現在に至るまでBMWと緊密な関係を保ちながら、素晴らしいコンプリートカーを送り出しているのは周知の事実である。
BMWを危機から救い、ドイツのチューニング文化にも絶大な貢献を果たしたノイエ・クラッセは、真の名作として後世まで語り継がれるべき偉大なモデルなのである。
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