BMWにオリンピック記念カーがあった! 「M1」の始祖となった「BMWターボ」とは【THE CONCEPT】

悲運のスーパーカーといわれたBMW「M1」のデザイン的ルーツとなるのが、1972年に発表されたコンセプトカー「BMWターボ」だ。その後のBMWのデザインの方向性を決めたデザイナー、ポール・ブラックが手がけたBMWターボについて解説する。

「ターボ」が車名のBMWのコンセプトカーとは

 BMWの名作「M1」の第一歩とも称されるコンセプトカーの初お披露目は、1972年7月に開会を迎えたミュンヘン・オリンピック会場であった。自社のお膝元がオリンピック開催地となったBMWは、その大会を記念して驚くほどにエキサイティングなスーパースポーツを仕立ててきた。

 ガルウイング式ドアを持つ、ミドシップ2シーターのボディ。あるいは天然ルビーのごとき輝きを放つ特殊なメタリック仕立ての深紅「スペクトラル・ダイアモンド・レッド」のペイントなど、半世紀近い昔のクルマとは思えないほどに清新なコンセプトカーは、同年9月には第59回パリ・サロンに再登場し、ショー会場の注目と人気を一点に集めることになったのだ。

 そのコンセプトカーこそ、BMW史上数少ないスーパーカーたる「M1(E26)」のひとつ前、「E25」の社内コードネームとともに開発され、今や伝説とも称される「BMWターボ」である。

●BMWを代表するスーパーカー「M1」の前身

「BMWターボ」のコードネームは、E25。後の「M1(E25)」に続くBMWスーパーカーデザインの源流とされている
「BMWターボ」のコードネームは、E25。後の「M1(E25)」に続くBMWスーパーカーデザインの源流とされている

 伝説のコンセプトカー、BMW「ターボ」のヒストリーを解説するにあたって、まずは車名の由来ともなった、ターボチャージャー付きの1990cc直列4気筒ユニットの出自について解説しよう。

 このパワーユニットは、当時レースの現場にて確固たる実績を挙げていた技術の応用型であった。長らく航空機用エンジンメーカーとしても活動していたBMWは、ターボ過給技術についてはすでに1960年代の段階でも豊富なノウハウを有していたのだが、そのテクノロジーを自動車の分野にも応用するため、まずはモータースポーツを試験場として選んでいた。

 当時大人気を博していた欧州ツーリングカー選手権(ETC)に参戦していたBMWワークスチーム、すなわちのちの「BMWモータースポーツ(現在のM)」社は1969年シーズンに向けて、ターボチャージャーを装着した「2002tik」を投入。見事このシーズンのコンストラクターズ部門チャンピオンを獲得するのだった。

 輝かしくも王座に就いた2002tikに搭載されていたM10型直列4気筒SOHC+ターボのエンジンは、BMWが当初から目論んでいた市販車へのターボ採用の可能性を模索するためのコンセプトカー「ターボ」にも、ほぼそのまま継承されることになった。

 独クーゲルフィッシャー社製PL04型インジェクション、およびKKK社製ターボチャージャーで武装したこのエンジンは、ターボの公表値では280psの最高出力と24.3kgmの最大トルクを標榜した。これは1969年の2002tikと同一のデータである。後に正式な量産モデルとして発売される「2002ターボ」の170ps/24.5kgmよりも110psもハイパワーとされた半面、トルクはわずかながら減少していた。

 そして、この大パワーのエンジンの効力で、マキシマムスピードは250km/h以上、0−100km/h加速タイムは6.6秒という素晴らしいパフォーマンスも公表されていた。

 しかし、パワースペック以上に興味深いのが、リアミッドシップのエンジンおよび、駆動系のレイアウトであろう。BMWターボでは直4エンジンをクラッチ+トランスミッションごと横置き。そしてミッション後端から取り出した出力を反転させ、ユニット後部中央に置いたディファレンシャルを介して後輪を駆動するという、実に複雑な駆動システムを採用していたのだ。

オリンピック記念カー、「BMWターボ」を【画像】で見る(20枚)

【2023年最新】自動車保険満足度ランキングを見る

画像ギャラリー

1 2

新車不足で人気沸騰! 欲しい車を中古車でさがす ≫

【NEW】自動車カタログでスペック情報を見る!

最新記事

コメント

本コメント欄は、記事に対して個々人の意見や考えを述べたり、ユーザー同士での健全な意見交換を目的としております。マナーや法令・プライバシーに配慮をしコメントするようにお願いいたします。 なお、不適切な内容や表現であると判断した投稿は削除する場合がございます。

メーカーからクルマをさがす

国産自動車メーカー

輸入自動車メーカー