くさび形スーパーカー50周年! 「カウンタック」と同期のマセラティ「ボーラ」とは
1971年は、スーパーカー誕生の当たり年だ。ランボルギーニ「カウンタックLP500」が発表されたのも1971年である。そして、カウンタックLP500と同じモーターショー会場には、マセラティ「ボーラ」も展示されていた。スーパーカーブーム時代に主役にはなり得なかったボーラとは、どのようなクルマだったのだろうか。
「MC20」の登場で、「ボーラ」に注目集まる!?
マセラティ初のミッドシップ・スポーツカーである「ボーラ」が、発表から50周年を迎えた。
ボーラは1971年3月11日、ジュネーブ・モーターショーでデビューした後、1978年まで生産され、564台が製造された貴重なスポーツカーである。
当時、F1レーシングカーに革命をもたらしたモノコックシャシ+リアミッドシップエンジンというトレンドを受け、マセラティはイタルデザイン社のジョルジェット・ジウジアーロに、性能、デザイン、快適性、安全性を高めたリアミッドマウントエンジン・リア駆動のスポーツカーの開発を依頼。
エンジンは、最高出力310ps/6000rpmを発揮する4700ccV型8気筒エンジン(2年後には4900ccのユニットを追加)で、モノコックに連結されたサブフレームに縦置きというレイアウトで搭載され、5速MTが組み合わされた。
当時のスーパーカーなどで主流となりつつあった、空気抵抗を低減させるためのリトラクタブル・ヘッドライトを採用した姿は、斬新なスタイルであった。
マセラティとして初めて4輪独立懸架を採用し、4輪ディスク・ブレーキ、乾式シングル・ディスク・クラッチ、テレスコピック式サスペンション・ダンパーなど、当時の最先端の装備が奢られていた。
最高速度は280km/hを超えながらも、エンジンの俊敏なレスポンスと静かな室内空間により、快適性とパフォーマンスを両立させたボーラは、GT的性格の強いクルマであった。
エンジニアリング・デザインはジュリオ・アルフィエーリが、エアロダイナミクスとスタイリングはジョルジェット・ジウジアーロが担当。現代の目で見ても、非常にバランスのとれたシンプルでエレガントなラインで構成された2シータークーペである。
デザイン・アプローチは未来的で、空気を切り裂くように低めに位置するスレンダーなテーパー状のフロントデザインは、ふたつの長方形のエアベントを持ち、その中央にマセラティを象徴するトライデントが収まっている。
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ボーラは、当時の新興メーカーであったランボルギーニが、V12気筒エンジンをリアミッドに搭載した「ミウラ」をすでに登場させていたため、歴史と伝統あるマセラティがその対抗策として打ち出したクルマであったとも考えられる。
エッジの効いた見た目とはうらはらに、GT的な性格が強かったボーラは、マセラティらしいアプローチであったが、同じ1971年のジュネーブ・モーターショーには、新興メーカーのランボルギーニが「カウンタックLP500」を発表していた。
カウンタックがイタリアン・スーパーカーの代表格となっていくのに対し、ボーラは時代に忘れ去られた感がある。販売台数的にも成功作とはいえず、マセラティの救世主とはなり得なかった。
しかし、過去の「失敗作」も、改めて見直されて再評価を受けることもある。ランボルギーニでいえば、「ウルス」の登場後に積極的にランボルギーニもリ・ブランディングに活用した「LM002」のように、ボーラも「MC20」が登場したことで、再び注目を受けるかもしれない。
今後、オークション・マーケットでの高騰も夢ではない1台といえるだろう。
久し振りに(2座席)ボーラを思い出させてくれたのならば
、4座席のメラクについても、書いて欲しかった。