生誕60周年!! 「2000GT」や「フェアレディZ」の元ネタ ジャガー「Eタイプ」誕生物語
名だたるセレブレティたちが、競って注文書にサインした
創業者ウィリアム・ライオンズ卿を筆頭とするジャガー・カーズ社の首脳陣は、当初Eタイプを限定生産に近い特別なモデルとしてセールス計画を立てていたが、ジュネーヴ・ショーにおける圧倒的な人気が後押しとなり、正規の量産モデルとする方針転換が図られたとされている。
●「Eタイプ騒乱」は北米でも巻き起こった
そしてEタイプの誕生がヨーロッパにもたらした騒乱は、翌4月におこなわれた「ニューヨーク自動車ショー」にて、北米マーケットにお披露目された時にも再現されることになった。
当時の欧州製スポーツカーが生命線としていたアメリカ市場において、Eタイプは旧「XK150」の後継車であることを強調するべく、とくに「XK-E」と呼ばれていた。
新大陸のクルマ好きたちは、欧州で評判のニューカマーをひと目見ようとジャガーのブースに群がり、その誰もがXK-Eに魅了されてしまう。まして「本物のセレブレティであることを証明したいならば、XK-Eに乗るのはむしろ当然」という空気まで生まれてゆくのだ。
その後、ニューヨーク・ショーは無事閉幕。アメリカに上陸した最初の2台をいち早く確保したカリフォルニア州ロサンゼルスの代理店は、さっそく虎の子のXK-Eをショールームに展示した直後に、かのフランク・シナトラの訪問を受けることになった。シナトラは白紙の小切手をチラつかせつつ、ショールームにある展示車両をすぐに売ってくれと懇願したという。
●マックイーンもEタイプを購入
ところが、ディーラーのセールスマネージャーは、たとえショウビズ界のスーパースターの申し出であっても、丁重に断らざるを得なかった。この時点におけるXK-Eはとにもかくにも品薄で、北米向けの割り当て台数もまだ少なかったために、たとえ現車があっても展示用にキープしておく必要があったからである。
しかし、このクルマがなかなか手に入らないという品薄状況が、かえってXK-Eの人気を煽る結果となる。そしてチャールトン・ヘストンやディーン・マーティン、スティーブ・マックイーンなどの一流ハリウッドスターや裕福なセレブレティたちが、先を争うかのごとく続々とXK-Eの注文書にサインしたとのことである。
しかし、世界中をエキサイトさせたこれらの誕生劇も、名車ジャガーEタイプの伝説においては序章に過ぎなかった、といわねばなるまい。
こののちEタイプは、1975年に惜しまれつつ生産を終えるまでに7万台以上が生産されるという、この種の大排気量スーパースポーツとしては驚くべき大ヒットを博すことになった。
加えて、2000年に発表された「Car of the 20 Century」においても、20世紀においてもっとも影響力のあったスポーツカーに選ばれるなど、まさしく自動車史上に冠たる名作、あるいは60年代ポップカルチャーのアイコンとしての道を邁進していったのである。
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さる2021年2月、ジャガー・ランドローバー本社から公表された新グローバル戦略「Reimagine」において、今後2025年よりジャガーはピュアEV(電気自動車)のラグジュアリー・ブランドとして再生を目指すという方針を高らかに宣言した。
現時点ではガソリンエンジン版のみの展開となっている「Fタイプ」ないしはその後継車もEVピュアスポーツカーとして生まれ変わることになるだろうが、ジャガーというブランドを愛してやまないファンとしても、将来のジャガー製スポーツカーが、かつてのEタイプのごとくアイコニックな存在であってほしいと、心より願ってやまないのである。
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