バブル末期にヒットした車とは? 1991年の人気車5選
今はなき、歴史ある2台の大衆車もヒットしていた!?
●日産7代目「サニー」
日産は前身の快進社から遡ると100年以上もの長い歴史がある会社で、大正時代にはすでに自動車製造を始めています。
大きな転換期となったのは第二次大戦後の財閥解体後で、1955年に戦後初の自社開発となるモデル「110型 ダットサンセダン」を発売し、近代的な自動車メーカーとして軌道に乗りました。
その後、マイカーブームの到来を受け、より庶民に身近なクルマとして1966年に初代「ダットサン サニー」を発売。
サニーはトヨタ「カローラ」と競い合うことで、日産を代表する大衆車のまま進化を続け、1990年には7代目が登場します。
6代目からデザインを踏襲していましたが、各部をラウンドした形状とすることで、モダンな意匠へと変わり、ラインナップは4ドアセダンに特化して、時代背景もあって上質さが追求されました。
エンジンはガソリン、ディーゼル含め、5機種をラインナップ。ガソリンエンジンはすべて4バルブDOHCを採用しています。
また、トップグレードの「GT-S」には1.8リッター直列4気筒DOHCのスポーツユニット「SR18DE型」を搭載。最高出力140馬力を誇りました。
1991年の販売は日本一に君臨したカローラには遠く及ばなかったものの、日産車のなかではトップセラーで、当時は「マーチ」以上に売れていたモデルです。
1994年には8代目にバトンタッチして生産を終えますが、メキシコではこの7代目サニーは「ツル(TSURU)」の名で生き続け、2017年まで販売されていました。
●マツダ7代目「ファミリア」
1966年にサニーとカローラがデビューしましたが、それよりも前の1963年に発売されていた大衆車が、マツダ初代「ファミリア」です。
同社初の小型乗用車としてデビューしたファミリアは、その名のとおりファミリーカーとして代を重ねています。
1980年には「赤いファミリア」という有名なキャッチコピーとともに5代目がデビューし、月間販売台数で通算8回も第1位を獲得するなど、若者を中心に大ヒットを記録。ファミリーカーのイメージを大きく変えました。
そして、1985年に登場した6代目ではスポーティ路線へと変化し、1989年発売の7代目ではより洗練されたスタイルへと生まれ変わりました。
ボディタイプは3ドアハッチバックと4ドアセダンで、5ドアハッチバックは「ファミリア アスティナ」と派生車に分けられます。
搭載されたエンジンは1.3リッターから1.8リッターのガソリンと、1.7リッターのディーゼルを設定。トップグレードでスポーツモデルの「GT-X」「GT-R」には1.8リッターターボを搭載し、ラリーをはじめとするモータースポーツへの参戦も積極的におこなわれていました。
当時、マツダは好景気の波に乗って販売チャネルを5つ展開し、車種の拡充もおこなっていましたが、やはり主力車種はファミリアであり、マツダ車のトップセラーとして重責を担います。
しかし、バブル崩壊後にマツダの業績は急激に悪化。ファミリアは2004年まで生産されましたが、後継車の「アクセラ」にバトンタッチし、乗用モデルは40年もの長い歴史に幕を閉じました。
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1991年はホンダ「ビート」、スズキ「カプチーノ」といった歴史的に重要なモデルが誕生しています。
また、トヨタ「アリスト」や、アンフィニ「RX-7」という、まさにバブルが生んだといえる名車も発売されました。
当時はミニバンが本格的に普及する前とあって、さまざまなスポーツカーやセダンが隆盛を極めていた頃であり、クルマ好きにはたまらない時代だったのではないでしょうか。
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