車種の多さがヤバすぎ! 迷走していた頃のマツダ車5選
メカニズム的には意欲作だったモデルとは!?
●MX-6
1992年に発売された「MX-6」は、コスモやRX-7と異なるキャラクターの2ドアスペシャルティカーとしてデビュー。
外観はワイドボディかつ伸びやかなフォルムと、美しいボディラインが特徴のクーペで、当時のアメリカ車を意識したような印象でした。
搭載されたエンジンは、フォードブランドで販売されていた2代目「プローブ」と同じ、2.5リッターV型6気筒と2リッターの直列4気筒を設定。
MX-6は、車格的にライバルだった日産「シルビア」やホンダ「プレリュード」とは異なり、V型6気筒エンジンによる余裕ある走りと豪華な装備で、ジェントルな1台に仕立てられていました。
しかし、発売した時にはバブル崩壊による景気低迷が始まっており、販売数が伸びることはなく1995年には生産を終了してしまいました。
●プレッソ
1991年にマツダはユーノスブランドから、コンパクトで特徴的なデザインの3ドアハッチバッククーペ、ユーノス「プレッソ」を発売。
バブル経済の絶頂期に企画されたという背景もあり、コンパクトな車体ながら当時世界最小の1.8リッターV型6気筒エンジンを搭載し、大いに話題となりました。
このV型6気筒エンジンは最高出力140馬力(後にハイオク仕様となって145馬力に向上)を発揮し、高級感を演出することが目的でした。
ところが、フロントが重くバランスが悪くなったことや燃費の悪さから、同じシャシに1.5リッター直列4気筒エンジンを搭載する姉妹車の、オートザム「AZ-3」のほうが好評となります。
その後、1993年にはプレッソにも1.5リッターエンジン車が追加され、同時にAZ-3に1.8リッターV型6気筒エンジン搭載車が追加されたことで、ラインナップの統一化が図られました。
しかし、1998年にベース車のファミリアのモデルチェンジの際に、販売台数の低迷から2モデルともに生産終了となりました。
プレッソは技術的には力作だったにも関わらず後継車はなく、悲運のクルマとなってしまいました。
※ ※ ※
バブルが崩壊した後マツダの業績は悪化し、販売チャネルの縮小をおこないましたが、1996年にはフォード傘下となってしまいました。
この頃のマツダを振り返ると悪いことばかりのように思われますが、ユーノス「ロードスター」やユーノス「コスモ」といった、いまも語り継がれる名車も誕生しています。
その後、マツダの業績は好転し、2015年にはフォードとの提携を解消。近年はCXシリーズに代表されるSUVが好調なセールスを記録し、ラインナップの拡充を続けています。
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