車種の多さがヤバすぎ! 迷走していた頃のマツダ車5選
マツダはバブル景気の前後の時期に、販売する車種を拡充するため販売チャネルを5つ展開しました。その頃はマツダのイキオイは凄かったのですが、迷走していたともいえます。そこで、1980年代の終わりから1990年代初頭に登場したマツダの迷車を、5車種ピックアップして紹介します。
まさにバブルの遺産といえるマツダの迷車を振り返る
1980年代が終わろうとしていた頃、日本がいわゆるバブル景気にわいていた時に、マツダは販売する車種の拡充を図るために、5つの販売チャネルを展開しました。

具体的には、マツダ店、アンフィニ、ユーノス、オートザム、オートラマで、アンフィニ、ユーノス、オートザムについてはブランドとしても使われていました。
その頃のマツダの勢いがあり、実際に急激な車種の拡大をおこない、ラインナップは拡大の一途をたどりました。
そこで、1980年代の終わりから1990年代初頭に登場したマツダの迷車を、5車種ピックアップして紹介します。
●ランティス

1993年に発売された「ランティス」は4ドアセダンと5ドアハッチバックの2タイプのボディが設定され、いまなら流麗なフォルムのクーペセダンと呼べるモデルです。
全長4245mm×全幅1695mm×全高1355mm(ハッチバック)のボディに搭載されたエンジンは、1.8リッター直列4気筒と2リッターV型6気筒の2種類で、当時、このクラスでV型6気筒エンジンはかなり珍しい存在でした。
シャシは「ファミリア」などとは共有せずにランティス専用に開発されるなど、開発にはかなりコストがかかっていたと思われます。
一方、全日本ツーリングカー選手権(JTCC)にV型6気筒エンジン車で参戦するも、レースで好成績を残すには至らず、速さのアピールには繋がりませんでした。
ユニークなデザインや走りは総合的に評価が高かったものの、ヒット作になったとはいえず、1997年に生産を終了しました。
●ペルソナ

1980年代の後半になるとクルマの高級化が進み、中級サルーンにも高級さを求めるニーズが高まったことで、マツダは1988年に「カペラ」をベースとした4ドアピラーレスハードトップの「ペルソナ」を発売。
外観はカペラのイメージを受け継ぎながらも、角を丸めることで全体的にやわらかな印象に変化し、Bピラーを排除したことで、開放感のある斬新なキャビンを実現しています。
内装もユニークで、高級感を演出するためにラウンジソファータイプのリアシートとし、内装表皮の半分以上が革張りとなっているだけでなく、デザインを重視したためにグローブボックスを排除するほどのこだわりようです。
搭載されたエンジンはカペラと同じ2リッターと1.8リッターの直列4気筒で、パワーはこのクラスでは平均的なものでした。
1989年にはユーノスブランドからユーノス「300」としても発売されましたが、贅沢さに対するニーズもバブル経済の終わりとともに消え去ってしまったことで、1992年に生産を終了しました。
●ファミリアNEO

コンパクトなボディに強力なDOHCターボエンジンと、国産車初のフルタイム4WDシステムを搭載したモデルをラインナップした6代目「ファミリア」は、ラリーでの活躍もあって、スポーティモデルとしてブランドイメージが高まりました。
そして、さらに高性能化した7代目でしたが、国内景気の低迷の影響などもあり、1994年にモデルチェンジされた8代目では高性能バージョンは用意されず、スポーティな派生車「ファミリアNEO」が登場しました。
クーペでありながら比較的全高を高くしたことで、通常の3ドアハッチバック並みのスペースユーティリティを実現。
海外ではスタイルが評価されましたが、国内ではデザイン的に優れていると評されることはありませんでした。
また、エンジンも1.8リッターと1.5リッターの平凡な直列4気筒しかなく、7代目までの高性能エンジンが設定されていなかったことが不人気の要因のひとつだったようです。
そのため、登場から2年あまり経った1996年に、ファミリアNEOはラインナップから消滅するかたちで、国内販売が終了となりました。










































