マセラティとシトロエンがコラボ! 「DS」が誕生した秘密とは?
マセラティのエンジンを搭載した「SM」とは、どんなクルマ?
マセラティ社との提携契約が結ばれたのは、1967年のことだった。こののちマセラティ社の主任設計者ジュリオ・アルフェエーリは、完成を急ぐシトロエンの要請に応えて、既存のV型8気筒エンジンから2気筒を削り、落としたかにも見える、新しいV型6気筒4カムシャフト(バンクあたりDOHC)2670ccエンジンの設計を、わずか3週間で終了させたといわれている。
●マセラティ製のスーパーカー・エンジン
初期の生産型では3基のキャブレターを組み合わせて170psを発揮。当初の目標を大きく上回る220km/hの最高速を獲得することになった。
そして、いかにもシトロエン的にアヴァンギャルドだが、同時に戦前以来のフランス製高級ツーリングカー「グラン・ルティエ」の伝統をも彷彿させる流麗なクーペボディのデザインは、開発スタート時には2CVやDSをはじめとする戦後シトロエンの傑作のすべてを手掛けた名匠、モダンアートの造形作家としても活躍していたフラミニオ・ベルトーニが担当することになっていた。
ところが1964年にベルトーニが逝去してしまったため、シムカ社からシトロエンに移籍した直後のロベール・オプロンがベルトーニの原案を引き継ぎ、彼を中心とした社内スタッフによって完成に至ったとされている。
ゴージャスなスタイリングを誇りつつもリアに実用的なテールゲートを備えた、このクーペボディにおける大きな特徴はヘッドライトにある。こちらもハイドロニューマティックに連動し、内側の一対がステアリングの操舵と同じ方向に照射するというシステムが導入された。
かくして試作車モデル「S」にマセラティの「M」が組み合わされたともいわれるネーミングがなされたシトロエン「SM」は、1970年春のジュネーヴ・ショーにて発表。大きな反響を得るに至る。
また2年後の1972年には、178psにパワーアップした電子燃料噴射仕様が追加。
さらにその翌1973年には主として北米マーケット向けに、エンジンの供給元であるマセラティが自社のミッドシップ2+2スポーツモデル「メラク」に搭載していたものを若干ディチューンした、2965cc+トリプルキャブレターのV型6気筒エンジン(180ps)を搭載したモデルが加えられた。また、ほぼ時を同じくして3速オートマティック・トランスミッションの組み合わせも可能とされた。
ところが1970年代中盤を迎えた時期、石油ショックに伴うガソリン価格の高騰や受動安全対策、排ガス対策などへの対応がメーカーに突き付けられるなど、時代の機運は高性能スポーツモデルには厳しいものとなってゆく。
しかも3リッター版が追加された翌年、経営状況が急速に悪化していたシトロエン社がプジョー・グループ傘下に収まったことを受けて、シトロエン、そしてフランスのプライドを一身に背負っていたはずのグラン・ルティエ「SM」は1975年、1万2920台を作り終えた段階で生産終了を余儀なくされてしまったのである。
往年のシトロエンは、モデル別の生産期間が長いことでも知られていたのだが、SMはデビューからわずか5年でフェードアウト。また同一の、あるいは近いキャラクターを持つシトロエンのクルマが、幕引きから45年を経た現在に至るまで作られたことはなく、文字通りシトロエン史上空前・絶後の1台となっている。
シトロエンの名車「SM」の後継車として「DS」は企画された ではなく、
シトロエンの名車「DS」の後継車として「SM」は企画された では?
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