いつ見ても新鮮!! ナウでヤングなジウジアーロが手掛けた日本車3選
ジウジアーロが手掛けた世界戦略をかけた日本車とは?
誕生から間もなく30年を迎えるいまとなっても、コアなファンから根強い人気を維持しているトヨタ初代「アリスト」は、トヨタ9代目「クラウン」から設定された上級モデル「クラウン・マジェスタ」の姉妹車的なポジションで、1991年にデビューしたアッパーミドル・サルーンだった。
●トヨタ(初代)「アリスト」/レクサス「GS」
高性能バージョンにあたる「3.0V」には、80系「スープラ」と同じくツインターボの2JZ-GTEエンジンを搭載。当時の国内向け自主規制枠一杯の280psを発生するという、かなりスポーティなキャラクターを前面に打ち出していた。
その商品コンセプトにしたがって、ボディデザインもアグレッシブ指向。日本国内の中高年層を意識したクラウンが「演歌調」ともいわれる、ドメスティックなスタイリングを旨としていたのに対して、カスタマー層の若返りも期待されていたアリストでは、1970年代末から秘密裏にコンタクトをとっていたイタルデザイン-ジウジアーロに、デザインワークを委ねることにした。
また1993年からは、この時期トヨタがプレミアムブランドとして打ち出していた「レクサス」の中核をなすアッパーミドル・セダン「GS」シリーズの第一弾として輸出されることにもなっていたことから、グローバルなスタイリングを実現するためのコラボレーションだったと推測される。
初代アリスト/レクサスGSのスタイリングは、1980年代終盤からジウジアーロが温めていた、4ドアサルーンデザインを具現化したものだった。
この基本スタイルは、ジャガー社へのプロポーザルとして企画。「XJ12シリーズIII」をベースに製作したジャガー「ケンジントン」として、1990年の英国バーミンガム・ショーにて初めて姿を現している。
ただし、この段階でアリストとなるデザインワークも並行して進められていたことから、しばしばいわれる「ジャガー・ケンジントンのデザインを生産化」という見方は、どうやら正解ではないようだ。
●スバル「アルシオーネSVX」
今も昔もテクノロジーコンシャスなクルマ創りを身上とするスバルだが、ことエクステリア/インテリアのデザインについては、あくまで機能の副次的なものとみなしているかにも見える。
しかしそんなスバルも、オフィシャルのものとしてはこれまで一度だけ、イタリアのデザインスタジオとのコラボレーションを展開したことがある。1991年9月から1997年9月までのちょうど6年間にわたって生産されたスバル「アルシオーネSVX」がそれである。そしてこれもまた、イタルデザイン-ジウジアーロの傑作として知られるモデルのひとつなのだ。
アルシオーネSVXは、「アルシオーネ」としては2代目にあたる。初代アルシオーネが、いわゆる「スペシャリティカー」だったのに対して、日本仕様でその名を受け継いだアルシオーネSVXは、本格的な「グラントゥリズモ」として開発された。
さらに、この種のモデルの巨大マーケットである北米を中心とする海外市場では「SUBARU SVX」として販売されることになった。
スバルSVXのデザインワークにあたり、ジウジアーロは、当時の市販車としてはかなり先鋭的なスタイリングとエンジニアリングを盛り込もうとしていたという。
その最たる例となったのが、エアコンディショナーの標準装備を前提に固定式とした左右のドアウインドウ面にそれぞれフレームを設け、可動式の小さなウインドウを組み入れる「ミッドフレームウインドウ」だ。
これは、1970年代からイタリアのカロッツェリアが、コンセプトカーなどでしばしば試行してきたアイデアだった。
また、ジウジアーロの描いたデザインスケッチの段階では、初代アルシオーネと同じくリトラクタブル式のヘッドライトを想定。イタルデザインの手でモックアップ・モデルも製作されたが、市販モデルでは富士重工社内デザインによる、プロジェクター固定式ヘッドライトに転向されている。
加えてイタルデザインでは日本の5ナンバーサイズに準ずる、あるいはそれに近い車幅でプロポーションを想定していたものの、グローバル市場を目指していた富士重工側の英断でワイド化が図られることになったといわれている。
このJRピアッツァ何時までも色褪せないね
ピアッツァの写真は、怒りのフェンダーミラーではなく、ドアミラー仕様にしてくれぇ。フロンドドアガラス前端部がフェンダーミラーだと間抜けに見える。(ドアミラー前提でベルトラインを決めていると思う。)