車名は「ミウラ」でオッケー! 牧場から命名したってホント?

フェルッチオがこだわった「ミウラ」という名前の由来は?

 そのような新型車誕生のプロセスのなかで、フェルッチオが強いこだわりを見せたのが、ミウラというネーミングだった。

 自身が牡牛座の生まれであることから、エンブレムにファイティング・ブルを描くことを決めたフェルッチオは、このV型12気筒ミドシップという当時はまだフェラーリさえチャレンジしていなかったスーパースポーツに、闘牛の名前を掲げることを強く望んだ。そしてイタリアのサンタアガタ・ボロネーゼから、遠く離れたスペインのローラ・デル・リオの地にあるミウラ牧場へと赴いたのだ。

●ミウラ牧場は、勇敢な闘牛の産出地だった!

実に1842年にまでさかのぼるミウラ牧場の歴史。ランボルギーニのV12フラッグシップ、ムルシエラゴもこのミウラ牧場の闘牛だった
実に1842年にまでさかのぼるミウラ牧場の歴史。ランボルギーニのV12フラッグシップ、ムルシエラゴもこのミウラ牧場の闘牛だった

 パラドール・デ・カルモナの古城ホテルで一泊した後に、我々は早朝からこのローラ・デル・リオを目指したドライブを始めた。

 ミウラ牧場の周辺では待ち望んだP400ミウラSVでのドライブセッションも用意されており、前回から変わらぬ、いや聞くところによればランボルギーニのクラシック部門であるポロ・ストリコによってメンテナンスされ、さらにコンディションを良化させたというSVの走りを十分に楽しむことができた。

 巨大なV型12気筒エンジンが横置きされ、コーナリング時にはそれが多少の不安というものを呼び起こすが、ドライブを続けるなかで徐々にマシンとの一体感が生まれてくる様子は前回のイベントで得た感覚と変わることはなかった。

 ミウラ牧場への入り口は、突然ロードサイドに現れた。そこにあったのは、かつてミウラのカタログや、ランボルギーニのオフィシャルフォトで見た「ミウラ=MIURA」の名が掲げられる木製のゲート。そしてそのゲートの前にSVをパークした時、「バック・トゥ・ザ・ネーム」という、今回のツアーの目的は見事に達成されたのだ。

 感無量という言葉は、まさにこのような瞬間のためにこそあるのだということを改めて知らされた思いがする。

 1842年に、ドン・ジャン・ミウラによって開かれたミウラ牧場は、1849年に最初の闘牛をマドリードでデビューさせると、それから闘牛史に残る勇敢なブルを次々に誕生させていく。

 半世紀ほど前にここを訪れたフェルッチオは、牧場との間で特別な契約を交わすこともなく、ミウラの名を使うことを決定したというが、それに否定的な意見を唱える者は、誰もいなかったという。なぜならランボルギーニ・ミウラもまた、ミウラ牧場の闘牛と同じように、最強のスーパースポーツにほかならなかったからだ。

●スペインのローラ・デル・リオにあるミウラ牧場とは?

 現在にまで続くミウラ牧場の歴史は、1842年にまでさかのぼることが可能だ。スペインの闘牛界に新たに誕生したスペインのローラ・デル・リオにあるミウラ牧場は、勇敢な闘牛を次々に生産し、徐々にその名声を高めていく。

 そのなかでも史上最強と評されるのは、これも後に偶然にもランボルギーニ車の名となる「ムルシエラゴ」で、1870年代に24回も闘牛士との戦いに勝利したという。

 現在のミウラ牧場からは、年間50−60頭の闘牛が出荷されるとのことだ。生育期間は約5年というから、牧場には常に300頭近い闘牛が飼育されている計算だ。ちなみにこの牧場の名に由来するミウラをデビューさせたフェルッチオは、その後も何回かカスタマーとともにこの地を訪れることがあったという。

【画像】ランボルギーニ「ミウラ」の名前の由来となった「ミウラ牧場」とは(25枚)

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