日産はオープン好きだった!? かつて一世を風靡した日産のオープンモデルの魅力
コンパクトカー「マーチ」をベースとしたオープンモデルもあった
日産はスポーツモデルだけでなく、コンパクトカーをベースにしたオープンモデルも手がけてきました。
1987年に初代マーチをベースとし、パイクカーと呼ばれるレトロ調のクルマの第1弾として「Be-1」が登場。Be-1は可愛らしいルックスで注目を集め、1989年に第2弾の「パオ」、1991年に第3弾の「フィガロ」が発売されました。
Be-1やパオがコンパクトハッチの基本デザインを踏襲していたのに対し、フィガロは丸っこいクーペボディと、大きなソフトトップを備えた2シーターコンバーチブルというスタイルを採用します。
フィガロは全長3740mm×全幅1630mm×全高1365mmとコンパクトながら、レトロだけれどほかのどのクルマにも似ていない個性的なスタイリングと、同じくレトロポップなデザインを採用した白いインテリアが特徴でした。
エンジンは、初代マーチ(K10型)譲りの1リッター直列4気筒ターボに3ATを搭載。このルックスに惚れ込んだ人は多く、日本限定8000台限定での発売予定でしたが、予約が殺到したため急遽2万台まで生産が拡大されました。
また、日本と同じ左側通行で右ハンドルのイギリスに中古車が輸出されたことにより、海外でも人気に火がつき、世界3大ギタリストのひとりであるエリック・クラプトン氏や、世界的なロックバンド「オアシス」のノエル・ギャラガー氏などもオーナーだったとわれています。
オープンモデルだったフィガロですが、ソフトトップを閉めたスタイルが可愛いので、オープンにして走っているオーナーは少なかったようです。
さらに、マーチをベースとしたオープンモデルとして、「マイクラC+C(シープラスシー)」があります。3代目マーチ(K12型)をベースに開発された、扱いやすいオープンモデルです。
C+Cは、「クーペ&コンバーチブル」を意味しており、2代目マーチ(K11型)にもラインナップされた「カブリオレ」のあとを受け継ぐモデルとして2005年に欧州でデビュー。2007年には1500台限定で日本に導入されました。
手軽なコンパクトカーでありながら、電動格納式ガラストップを採用したクーペだったことが特徴的です。
開発と生産は英国日産で、ドイツの名門ボディワーク会社であるカルマン社がルーフ部分を手がけました。
全長3820mm×全幅1670mm×全高1445mmのサイズに、1.6リッター直列4気筒エンジンを搭載。ベース車両のマーチと同様の性能を持ち合わせたうえに、小さいながらも後部座席があり、実用性も十分なオシャレなコンパクトオープンでした。
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オープンモデルが希少だった1982年には、「パルサー」の派生車として「パルサーエクサ」が登場しています。
当時人気になりつつあったリトラクタブルヘッドライトを採用した2ドアノッチバックスタイルのクーペですが、全国100台限定で「コンバーチブル」が特別仕様車として作られました。
現在ではかなり小さい部類に入る全長4125mm×全幅1620mm×全高1340mmのボディに、85馬力の1.5リッターエンジンを搭載。トランスミッションは5速MTのみでした。
特別仕様車とはいえ、クーペにもオープンを設定していた日産は、かなりオープンモデルが好きなメーカーともいえます。
現在国内では日産のオープンモデルはありませんが、今後オープンモデルが登場することを期待したいです。
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