目の付け所はナイス! だけど消えちゃった車5選
出るのが早すぎたミニバンとは!?
●トヨタ「セリカ」
1970年、アメリカで需要を拡大していたスペシャリティーカーに着目し、日本版スペシャリティーカーとしてトヨタ初代「セリカ」が発売されました。
斬新な販売方法だったのが、一部グレードを除きエンジンや内装をユーザー自身が自由に組み合わせて、好みのクルマをつくることが可能な「フルチョイスシステム」を採用していたことです。
そのバリエーションはエンジン、外装、内装の組み合わせだけで27通りあり、さらにトランスミッションや塗装、各種オプション部品を組み合わせると、数百万通りにもおよびました。
生産については、全国の販売店からオンラインでその日の受注車両情報を受け取り、オーダーのなかから優先順位や生産の平準化などを考慮して1日分の組立順序計画を作成し、工場に指示を出す「デイリー・オーダー・システム」によって対応。
早ければ8日、平均でも10日から11日で納車が可能だったとされています。
しかし、実際には、値引きや納期の関係でそれほど自由に組み合わせを選ぶことができないという声があったことや、オーダーの内容が偏ってしまったためか、モデルライフの途中でフルチョイスシステムは廃止されました。
その後、同様のセミオーダープランはトヨタ「パブリカ スターレット」の「フリーチョイスシステム」や、日産「セフィーロ」の「セフィーロ・コーディネーション」などが登場しましたが、どちらも短期間で終了しています。
●日産「プレーリー」
1982年に日産は画期的なパッケージの5ドアワゴン「プレーリー」を発売しました。
最大の特徴はセンターピラーレス構造の後席両側スライドドアで、左右ともに前後ドアを開くと広大な開口部が出現したことです。
リアサスペンションを工夫することにより超低床レイアウトを実現したことで、回転対座セカンドシートが備わる3列シート8人乗りや、折り畳み式後席の2列シート5人乗り、豪華な固定式後席の採用で快適性を重視した2列シート5人乗りをラインナップ。
さらに、バッグドアがバンパーごと開口することから、荷物の積みおろしがしやすい4ナンバー登録の商用バンも用意されました。
プレーリーは現在のミニバンの元祖といえる存在ですが、最大のセールスポイントのセンターピラーレス構造やバックドアの開口部を下げたことによるボディ剛性の低さが指摘を受けます。
また、最高出力100馬力の1.8リッターと85馬力の1.5リッター直列4気筒SOHCエンジンでは、多人数乗車時の動力性能が低く、販売台数が伸びなかったため、1988年に2代目へとバトンタッチした際に、センターピラーレス構造ではなくなりました。
後にトヨタやダイハツ、ホンダがセンターピラーレス構造のスライドドアを採用しているため、プレーリーは出るのが早すぎたということでしょう。
※ ※ ※
今回、紹介したクルマのように、いち早く採用したのに消えてしまい、後に他メーカーによって復活したという技術やアイデアはほかにもあります。
たとえば、三菱が開発した量産世界初のガソリン直接噴射エンジン「GDI」は1996年に登場しましたが、技術的な問題から三菱のラインナップから一旦廃止されました。
しかし、他社は開発を続けた結果、現在のターボエンジンでは主流となっています。
これは、先駆者が必ずしも成功するわけではないという、技術開発の難しさが垣間見える例です。
GDIについては、技術的な問題もありましたが、それ以前に排ガス規制の問題がありました。勝手に情報操作しないで正確な情報を書けよ、三流ライター。