ボンドカーになった! アストンマーティン「ヴァンテージ」を代表するDBシリーズ5選
時代とともに、意味を変えていった「ヴァンテージ」
DB4シリーズVヴァンテージが、ボンドカーとして採用されたアストンマーティンは、DB5、DB6へとヴァンテージをアップグレードしていく。高性能なエンジンを搭載したヴァンテージは、英国流アンダーステイトメントな装いをまとった、まさしく「羊の皮を被った狼」であったが、1970年代に入ると、オイルショックや新排ガス規制などにより、北米での販売がストップした不遇の時代に見舞われる。
この辛い時代をヴァンテージはどのように変遷していったのだろうか。
●DB5ヴァンテージ
1964年に「DB5」が発表されたとき、当然のことながら、高性能モデルのヴァンテージバージョンもすぐに登場すると思われた。しかし意外なことに、オプションのヴァンテージエンジンを搭載したDB5サルーンの生産台数は、887台のうちわずかに68台に留まった。
ヴァンテージバージョンは、ウェーバー製トリプルキャブレターを採用し、最高出力が標準バージョンよりも41ps高い330psを発生した、4.0リッター・エンジンを搭載していた。
ヴァンテージエンジンを搭載した「DB5コンバーチブル」はさらに希少なモデルとなっており、製造された123台のうち、わずか8台に過ぎない。その後、数多くの標準バージョンがヴァンテージバージョンに改造されたなかで、DB5ヴァンテージおよびDB5ヴァンテージ・コンバーチブルのオリジナル車はきわめて希少な存在となっている。
1965年のジュネーブモーターショーで世界のメディアに向けて発表されたプレスリリースでは、DB5ヴァンテージの魅力を簡潔かつ控えめに次のように表現している。
「さらなるパワーにより、強烈な加速とより高い平均巡航速度を実現しています」
DB5ヴァンテージは、当時としては高価なクルマで、パワーユニットのアップグレードには、車両代金とは別に158ポンド(消費税抜き)が必要で、1965年時点での価格は税込で4439ポンド15シリング5ペンスに引き上げられた。
●生産台数_DB5ヴァンテージ:68台(クーペ)
●DB6ヴァンテージ
DB5ヴァンテージの後継モデルとなる「DB6ヴァンテージ」は、Mk IとMk IIバージョンが用意され、パワフルな先行モデルと同様、高い信頼性を確立したアップグレード方式が採用された。
DB5ヴァンテージと同様、エンジンは4.0リッター直列6気筒で、出力も同じ330ps。DB5に初採用された、サイドストレーキのヴァンテージエンブレムも踏襲されている。このエンブレムは、小さいながらも重要な意味を持つものだった。
オリジナルのヴァンテージエンジンを搭載して送り出されたDB6の生産台数は何百台ではなく何十台の単位のため、その希少価値は極めて高く、現在世界中のオーナーによって大切に保管されている。
●生産台数_DB6ヴァンテージ:335台(クーペ)、29台(ヴォランテ)/DB6 MkII:70台(クーペ)、13台(ヴォランテ)
●DBSヴァンテージおよびAMヴァンテージ
DB4、DB5そしてDB6に至る一連の流れがアストンマーティンによるデザインの「進化」を物語るとすれば、1967年に登場した「DBS」は真の「革命」といえるモデルだった。
このクルマの角張ったモダンな形状を生み出したのは、当時アストンマーティンに若手のインテリア・デザイナーとして在籍していたウィリアム・タウンズである。このオリジナリティ溢れるボディに収まっていたのは、その当時の定番ユニット、タデック・マレックが手がけた6気筒3995ccエンジンで、DB6と同様に標準バージョンとヴァンテージバージョンが設定された。
当初の計画では、新開発のV8エンジンを搭載する予定だったが、開発が間に合わず6気筒エンジンが搭載された。
DBSの増加した重量に対応するため、ヴァンテージバージョンはカムシャフトの設計を見直し、パフォーマンスが向上している。
1972年4月、それまでの4灯式ではなく2灯式のヘッドライトを備えた新バージョンのDBSが登場。このモデルは、AMヴァンテージと名付けられ、70台が製造された。興味深いことに、このクルマは、過去のヴァンテージの血統に反し、そのラインナップにおいて最もパフォーマンスの低いバージョンとなった。
●生産台数_DBS:290台(クーペ)/AMヴァンテージ(6気筒):70台(クーペ)/372台(クーペ)、194台(ヴァンテージ・ヴォランテ)
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