話題のコロナとは違う! 絶大な人気を誇ったトヨタの名車「コロナ」
トヨタにはかつて「コロナ」という主力モデルが存在しました。しかし、現在ではその車名は存在せず、「プレミオ」や「アリオン」に引き継がれています。コロナとは、どのようなモデルだったのでしょうか。
トヨタのセダン、というイメージを確立したヒット車「コロナ」
昭和の日本を颯爽と走り抜けた国産小型乗用車がありました。トヨタが1957年デビューさせた「トヨペット コロナ(ST10型)」です。
曲線を多用した優雅なボディは、全長3912mm×全幅1470mm×全高1518mmとなり、初期モデルが搭載するエンジンは排気量995ccから33馬力を発揮する4気筒サイドバルブのS型エンジンでした。しかし、クルマとしての性能・完成度は今一歩だったとの評価もあったようです。
そこで1960年、コロナは2代目(PT20型)に引き継がれます。初代の反省を受けて、打倒ダットサンを掲げて開発したモデルでした。
頻繁にマイナーチェンジをおこない、主力となったRT20型の搭載エンジンは1.5リッターのR型、直列4気筒OHVは60馬力を発揮するに至っています。このRT20型コロナは、第1回日本グランプリの1.3リッターから1.5リッタークラスで、1位から3位を独占しました。
トヨタは、このコロナで本格的なファミリーカーの到来を期待していましたが、実際の購買層は法人が中心で、デザインに優れるものの華奢な構造であったため、耐久性で優れるダットサンを凌駕することはできませんでした。しかし、コロナはトヨタの中核セダンとしてのポジションを確立した、重要なモデルといえるです。
コロナが名実ともに日本を代表するミッドクラスセダンとなるのは、3代目(RT40型/PT40)からでしょう。デビューは1964年9月、東京オリンピック開幕直前でした。
トヨタはRT40型の設計に当たって、先代の弱点を徹底して潰して、P410型に進化していたダットサン(ブルーバード)に挑みます。1500デラックスのボディサイズは全長4110mm×全幅1550mm×全1420mm、ホイールベース2420mm、高搭載エンジンは先代の改訂版2R型エンジンです。
また、発売後すぐに開通したばかりの名神高速道路で「10万km連続走行テスト」を公開し、最高速140km/hをカタログでアピール。ここから「B・C戦争」といわれたブルーバードvsコロナの競争が始まります。
その後、アローラインと呼んだシャープでボクシーなコロナが、1965年1月にトップセラーの座を獲得します。以降、1968年に同社「カローラ」に首位の座を譲るまでコロナが独走しました。
RT40型は、1964年から海外にも進出。1967年には8万台超が輸出され、日本車の単独車種名における輸出台数の新記録を達成し、海外でも通用する初のトヨタ製乗用車となったのです。
そのほか、3代目コロナは豊富なボディバリエーションも特徴でした。当初から4ドアセダンに加えて2ドアと4ドア(後に3ドア&5ドア)のバン、シングルとダブルキャブのピックアップが揃っていました。
1965年7月には、「コロナ・ハードトップ(HT)」が加わります。シャープな造形を活かした2ドアノッチバッククーペながらセンターピラーを取り去った、日本初の画期的でスタイリッシュなピラーレスHTモデルでした。
そして、追いかけるようにコロナHTにさらなる画期的なモデルが追加されます。モータースポーツ界で活躍していたスカイラインGTを仮想敵とした「トヨタ1600GT」です。
コロナHTのボディながら“コロナ”の名を敢えて外したツーリングカーで、1968年日本グランプリのツーリングカー部門で、日産「プリンス スカイラインGT」勢を打ち破り優勝します。
RT40型からRT50型、1600GTを生んだ3代目コロナは、自らの弱点を洗い出し、市場動向を捉えて、状況を把握し、必要な商品ラインアップを揃えるという、トヨタのその後の商品企画&マーケティング戦略を決定づけたモデルともいえるものでした。
やっと来たか!
最近は「コロナ」の文字がいたるところで見られるのですが、コロナ乗りとしては複雑です...。
ウケ狙いか?ウケないぞ。ふざけ方が間違えている。自重しろ。
生産終了してよかったよ…