わずか492台のみ! 70年代を席巻したランチア「ストラトス」は何が凄かった?
漫画「サーキットの狼」にも登場したランチア「ストラトス」。圧倒的な成績でラリーシーンを席巻したストラトスですが、華々しい活躍とは裏腹に、わずかな期間でその歴史を終えることになります。
70年代の世界ラリーを席巻した「ストラトス」とは
1974年、WRC(世界ラリー選手権)に、その後3年間にわたってシーンを席巻するクルマが登場します。それが漫画「サーキットの狼」にも登場したランチア「ストラトス」です。
圧倒的な戦績でラリーシーンを席巻したストラトスですが、華々しい活躍とは裏腹に、わずかな期間でその歴史を終えることになります。現在でも多くのファンを魅了するストラトスとは、どのようなクルマなのでしょうか。
ランチアは、第二次大戦以前から国際的な自動車レースで活躍するブランドでした。戦後もサーキットで快進撃を続けてきましたが、1955年に撤退し、市販車の生産に専念することになります。
ランチアがラリーシーンで脚光を浴びたのは、「HFスクアドラ・コルセ」というチームの活躍からです。同チームは、1966年2月に市販車をベースにした「ランチア・フルビア・クーペHF」を実戦投入し、フラワー・ラリーで初勝利します。
ただ、年々激化するパワー競争で、その戦闘力は相対的に低下してしまいます。チームはパワーと軽量コンパクトで高いハンドリング性能を持ったマシンを渇望していましたが、既存のモデルではそれが叶いませんでした。
そこで計画されたのが、ラリーマシンであるストラトスの開発です。基本設計は、軽量なミッドシップ2シーターという、レーシングマシンともいえるレイアウトで、生産台数は当時のラリーの規定に沿って400台が目標となりました。
ストラトスの原点となったのは、1970年のトリノモーターショーで世界初公開され、元々馬車工房からスタートしたベルトーネによってデザインされた「ストラトス・ゼロ」です。このコラボレーションは、ランチア側からベルトーネに申し入れたことで実現します。
しかし、どのようなパワーユニットを選択するかは大きな課題でした。当初、ランチア製1.6リッター直列4気筒エンジンを採用する予定でしたが、シャシーの能力に対して非力であることが指摘されていました。
そこで、当時のマセラティ「ギブリ」が搭載していたV型6気筒エンジンなど複数のエンジンが検討され、最終的にフェラーリが「ディーノ246GT」のために開発し、フィアットが生産していた2.4リッターV型6気筒のディーノ・エンジンが搭載されることになったのです。
この決定は、フェラーリがフィアット傘下にあったことが大きかったといわれています。当初、フェラーリ創設者であるエンツォ・フェラーリ氏は、エンジン供給に難色を示したとされていますが、ベルトーネの説得でなんとか供給に漕ぎつけたという逸話が残っています。
そして完成したストラトスは、モノコックにサブフレームを組み合わせた特異なシャシに、ディーノ用のV型6気筒エンジンを横置きに搭載したものとなりました。ホイールベースは極めて短い2180mmの非常に小さなボディが完成し、FRP製のボディ製作は、ベルトーネです。
そして1972年のトリノモーターショーでラリーカーとしてのストラトスが展示されたのでした。ストラトスとは、イタリア語で「成層圏」を意味する“Stratosfera”からの造語ですが、その名の通り、まるで成層圏から飛来したかのようなスタイルが見る者の度肝を抜くことになりました。
開発と並行して実戦にも投入されました。プロトタイプの段階で参戦した、1972年11月のツール・ド・コルスでは、リタイヤという結果に終わりましたが、それ以降積極的に実戦参加をおこない、ストラトスは戦闘力を高めていきました。そして、ストラトス1973年4月のファイアストーン・ラリーで、初めて優勝を飾るのです。