世界を目指した日本車! GT-RやNSX、プリウスなど、平成生まれの名車と30年
いまの電動化の流れを作った21世紀のクルマ像
バブル崩壊以降のトヨタは『このままのクルマ造りでいいのか?』と21世紀のあるべきクルマ像を水面下で模索していたといいます。その答えの一つが1997年に登場した世界初の量産ハイブリッドカー「プリウス」でした。
エンジンとモーターの綿密な制御により、当時の1.5リッター級セダンの10.15モード燃費が14km/Lから15km/Lだった時代に、28km/Lという低燃費を実現。
さらに、CO/HC/NOxの排出量は当時の規制値の約1/10と、すべてが群を抜いていました。乗り味は、決して洗練された物ではありませんでしたが、これまでのクルマとは違う「プラスα」が備わっていたのは事実です。
その後、ホンダ「インサイト」(1999年)、日産「ティーノ」(2000年)、スズキ「ツイン ハイブリッド」(2003年)とライバルメーカーもハイブリッド車を投入しますが、大成するのはもっと後の時代です。
2000年前後を皮切りに、グローバル化の流れがより強くなっていき、バブル崩壊以降経営破たん寸前だった日産は1999年にルノー傘下となります。三菱は、2000年にダイムラークライスラー(当時)と資本提携、マツダは1996年に1979年以来提携関係を続けてきたフォード傘下になりました。
バブル崩壊から立ち直った国産メーカーは以前のような勢いを取り戻しますが、技術の進歩よりも効率/生産技術/共用化/モジュール化などが主でした。俗にいう「いいクルマより売れるクルマの時代」です。
その余波はスポーツカーに向けられ、開発に手間がかかる割には販売台数の見込めないことからリストラの対象となったのです。2000年に、日産「フェアレディZ」と三菱「GTO/FTO」、2002年にトヨタ「スープラ」、日産「スカイライン GT-R」「シルビア」、マツダ「RX-7」、2005年にホンダ「NSX」、2006年にトヨタ「セリカ」、2007年にトヨタ「MR-S」、2009年にホンダ「S2000」が生産終了します。
そして、2008年のリーマンショックの影響で日本経済は大きく低迷し、国産メーカーはバブル崩壊以上の大打撃を受けます。ユーザーのクルマに対する要求も「お買い得」、「経済的」が最重要視されるようになります。その一つが「燃費性能」でした。
各メーカーは燃費に特化したスペシャルグレードを設定し、ドライバビリティを無視したエンジン特性、転がり抵抗低減を重視したエコタイヤの採用と、カタログ上の燃費数値を競い合うようになりました。
実燃費とのかい離が問題になる一方、「ライバルよりも燃費が悪いと売れない」という営業部門との板挟みに。その結果、三菱をはじめとする燃費不正問題に発展していきました。
気が付くと、日本のメーカーはバブル景気の時代に海外メーカーの背中が見えたにも関わらず、バブル崩壊以降の失われた10数年で海外メーカーとの差はむしろ引き離されてしまった感があります。また、韓国や中国メーカーと戦うためには、従来の延長戦上ではない新たな戦略が必要となっており、各メーカーは大きく舵を切り始めます。
もちろん、現在のトレンドとなっている「電動化シフト」は、どのメーカーも避けて通れない道です。ただ、これまでと違うのは「燃費はよくて当たり前、その先は?」というトータル性能を重視したクルマ造りに変わり始めていることです。
次世代パワートレインや次世代プラットフォームへの刷新により、安全性能や経済性能を高い次元で備えながら「走る歓び」や「運転する楽しさ」も兼ね備えたモデルが増えてきています。
平成の名車懐かしいですね!あの頃を思うと何か目頭が熱くなる想いでいっぱいです。当時は私は昭和のセリカXXに乗り
次いでトヨタ三姉妹チェイサー・クレスタ・マークⅡの中でパールシルエットトーニングのクレスタ ツインカム24にSTSの電子制御サスペンションを付けリップにスポイラーを付け(今は亡き嫁さん)彼女を隣に乗せて走り回ってました!その後、子供達が生まれて三菱デリカスターワゴン スーパーExcelに乗って今では考えられないけど黒い煙を出して走り良くスキーに行ったものです。その後は世相や
自分達のライフスタイルで変わりレジアス・RAV4・VOXY・VOXY・中古VOXYのG'sで現在に至ります。車は楽しい乗り物
その反面人を傷つける道具とも成ります。一番車の運転が上手なのは事故を起こさない人だと私は考えます!最近の若い人…と言ったら語弊が有るかと思いますが車を洗う人が少なくなったなぁと思います。車は家族の一員です。大切に家族を扱って貰いたいですね!(*^^*)