「日本車がもっとも輝いた」平成元年、女性の免許保有が生んだニーズ 車史で振り返る平成
クルマは時代の象徴で、時代を映す鏡ともいえるでしょう。「日本車が最も輝いた」平成元年から、平成の時代に生まれた「クルマの新しい楽しみ方」まで、平成時代を彩ったクルマで振り返ります。
クルマは時代の象徴で時代を映す鏡
クルマは時代の象徴で、時代を映す鏡ともいえるでしょう。「日本車が最も輝いた」平成元年から、平成の時代に生まれた「クルマの新しい楽しみ方」まで、平成時代を彩ったクルマで振り返ります。
第二次世界大戦後の高度経済成長(いざなぎ景気)となった1965~1970年には、日本車も急速に進歩しました。
1970年代に入ると、1ドル=360円の固定相場制から変動相場制に移行したこともあり、日本経済は大きく変わりました。円高不況に見舞われ、1973年にはオイルショックも発生します。クルマも国内販売の増加傾向が鈍り、1975年以降には厳しい排出ガス規制も実施され、動力性能が悪化して売れ行きもいっそう下がりました。
この後、1980年代に入ると日本経済は元気を取り戻し、自動車市場でもターボ車や三菱「パジェロ」のようなオフロードSUVが急増しました。1980年代の中盤には、トヨタ「マークII」「チェイサー」「クレスタ」のような上級車種が好調に売れるハイソカーブームも巻き起こりました(ハイソカーとはハイソサエティカーという和製英語の略称)。
そして平成元年、つまり1989年は、日本車がもっとも輝いた時代でした。この年には、トヨタの最高級セダンの「セルシオ」(海外では初代レクサス「LS」)、日産の高級ブランド インフィニティ「Q45」も発売され、日本車がプレミアムセダンの世界に進出しています。
スポーツモデルでは、4代目のZ32型日産「フェアレディZ」が発売されて最高出力が280馬力に達し、この数値はその後の自主規制に繋がりました。8代目のR32型「スカイライン」も発売され、「GT-R」を復活させています。
マツダはスポーツカーが4WDや4WSでハイテク化する中、「ユーノス・ロードスター」を投入して、ベーシックなメカニズムによる一体感を伴った運転の楽しさを提供しました。
平成2年(1990年)には、ホンダ「NSX」、三菱「GTO」、マツダ「ユーノス・コスモ」の「280馬力スポーツ」が出そろい、国内販売は空前絶後の778万台に達します。平成30年(2018年)の国内販売は527万台なので、当時の日本では、クルマが現在の1.5倍も売れていました。
この時代のクルマの使われ方は、2名か、3~4名の乗車でした。若い人達もクルマを積極的に所有したので、先に述べた「ユーノス・ロードスター」など、2人乗りのスポーツカーも人気を得ています。
ファミリーユーザーは、トヨタ「コロナ」や「マークII」のような4ドアセダン&ハードトップを中心に購入しました。最上級車種の「セルシオ」も、「カローラ」や「コロナ」から「マークII」、「クラウン」と上級化したユーザーが、さらにステップアップするクルマとして購入されました。
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