新型「スープラ」発表の影で「働く人々の動画」のフォード 希望の光ある? デトロイトのこれから
「デトロイト」という街について人々はどのようなイメージを持っているでしょうか。最も有名なのはアメリカ自動車産業の中心地にして、荒廃の象徴であることでしょう。デトロイトモーターショーの取材を通じて、ショーそしてデトロイトという街のこれからをレポートします。
“Supra is back!”の影で…
「デトロイト」という街について人々はどのようなイメージを持っているでしょうか。ジャクソン5やライオネル・リッチー、スティーヴィー・ワンダーといったそうそうたるアーティストを生んだ街、映画『ロボコップ』の舞台となった街、あるいは、ラッパーのエミネムが育った街として知られるデトロイトですが、やはり最も有名なのはアメリカ自動車産業の中心地にして、荒廃の象徴であることでしょう。かつては最も影響力のあるモーターショーの1つであった北米国際オートショー(デトロイトモーターショー)の取材を通じて、ショーそしてデトロイトという街のこれからをレポートします。
1月14日、デトロイトのダウンタウンにほど近い展示場「コボセンター」で、2019年のデトロイトモーターショーが幕を開けました。氷点下8度の朝7時過ぎ、薄暗い街の中に人影はほとんどありませんでしたが、会場ではまもなくはじまるショーを前に、すでに多くの人々が慌ただしく駆け回っていました。消費者目線(特に日本の)でいえば、今回のショーのハイライトは、やはりトヨタ新型「スープラ」のワールドプレミアだったでしょう。豊田章男社長自ら登壇し、満面の笑みで“Supra is back!”と両手を掲げてみせた姿は、多くのメディアに掲載されました。
しかし、デトロイトモーターショーのプレスカンファレンスのトップバッターを務めたのは、地元の雄であるフォードでした。トヨタから最も遠い対角線上に巨大なブースを設えたフォードは、天井からクルマが降りてきたり、VRゴーグルを使って参加者を仮想現実の世界へと誘ったりするなど、アメリカ流の派手なギミックを駆使したプレゼンテーションを行いました。ですが、プレゼンテーションの冒頭は、フォードで働く人々の生の声を映した動画であったことは、あまり報道されてはいないようです。
米国「デトロイト」という街
アメリカ中西部のミシガン州に位置するデトロイトは、19世紀初頭より計画都市として発展し馬車や自転車の製造を主な産業としていました。20世紀に入り、ヘンリー・フォードによって自動車工場が建設されたのを皮切りに、かの有名なフォード生産方式によるT型フォードの大量生産によって自動車の大衆化に成功し、同時期に設立されたゼネラル・モーターズ(GM)とクライスラーとともに、アメリカのみならず世界の自動車産業を牽引してきました。
デトロイトは「モーターシティ」および「モータウン」と呼ばれ、1940年代には世界で最も発展した都市のひとつとして栄華を誇りました。
状況が一変したのは、1970年代に入った頃です。戦後の高度経済成長を経て、著しい復興を遂げていた日本の立役者となったのはまぎれもなく自動車産業ですが、その日本車がアメリカへと進出してきたのです。
1960年代に先陣を切ったトヨタ「クラウン」は完敗してしまいましたが、その経験を糧に高品質・低価格のクルマを送り込み、またたく間に北米市場を席巻していきました。かつて戦争で完膚なきまでに打ち負かした日本に、自国の基幹産業が駆逐されていく姿を目の当たりにしたアメリカ人の心のうちは、いかばかりだったでしょう。
日本車の躍進は、すなわちアメリカ車の凋落を意味します。デトロイトの市街地から人は消え、職も家もない人が溢れかえりました。と同時に、犯罪も日増しに増えていったのです。冒頭で紹介したデトロイトについてのイメージの多くは、自動車産業も衰退と大きく関連しています。
そして2009年、リーマンショックに端を発する大恐慌の影響を受けて、GM、そしてクライスラーが経営破綻を迎えます。世界有数の大企業にして、アメリカ自動車産業のBIG3を担う2つの自動車メーカーが倒産したのです。
GMとクライスラーは、その後公的資金の投入などによって再生を果たしますが、街の発展の基礎を築き、大恐慌の中でも唯一生き残ったフォードは、自らが本拠を置くデトロイトという街に対する責任感を強めたことは間違いないことでしょう。デトロイトモーターショーのプレスカンファレンスで見せたフォードで働く人々の声は、デトロイトに住む人々にとってフォードが単なる自動車メーカー以上の意味を持っていることを伝えたかったのだと思います。