SUBARU「ニュル24時間レース」優勝 その裏にディーラーメカのファインプレーがあった!「レースを止める」一言の勇気とは【PR】
2026年のニュルブルクリンク24時間レースで8回目のクラス優勝、ノントラブルでの完全優勝を果たしたSUBARU。その快挙の裏には、全国から選抜されたディーラーメカニックのファインプレイがあった。深夜3時過ぎ、ルーティンのピットインで異変を察知し、勇気を持ってチームに伝えた29歳の整備士のドラマに迫る。
深夜3時の異変を見抜いた29歳整備士 SUBARUをクラス8度目の頂点へ導いた一瞬の決断
SUBARUは、2026年のニュルブルクリンク24時間レースで8回目のクラス優勝、ノントラブルでの完全優勝を果たしたが、その裏側で活躍したディーラーメカニックのファインプレイに注目した。
じつは「#88 SUBARU WRX NBR CHALLENGE 2026」は深夜3時過ぎ、ルーティンのピットインでいつもより長い時間ピットに止まっていた。
いったんピットボックス内に車両を下げ、十数分後に再びコースに戻りトップを快走した。この時、一体何があったのか。
全国のスバルディーラーから選抜されたメカニックのファインプレーで、WRXは何事もなかったようにコースに戻り、8回目のクラス優勝、完全制覇へ繋がる活躍を見せた。

神奈川スバルに所属する寺嶋隼人さん29歳。今回の派遣ディーラーメカニックのひとりだ。
寺嶋さんはスバルディーラーに入社する動機のひとつに、ニュルブルクリンク24時間レースへの派遣メカニック制度に魅力を感じていた。寺嶋さんは次のように話す。
「入社後は、日々の作業に追われ、覚えることが多くて、正直言って去年までニュルのことは忘れてたんですよ。
ある日、上司からニュルの応募が来ていることを知らされたときも、あまりピンとこなくて、即答できなかったんです」
じつは社内資格である「テクニカルスタッフ1級」を取得したことで、ニュルの派遣資格を持つことになったという。
「それから冷静になって、いろいろニュルのことを考えていくうちに、入社当時のニュルへの情熱が沸々と湧き上がってきて、挑戦させてもらうことにしました」

寺嶋さんのニュルへの挑戦は、まず社内での筆記試験があり、その後「SUBARU研究実験センター(SKC)」での実技、面接試験を経て、全国のディーラーから集まったメカニックのうち8名が選抜される。
寺嶋さんの受けた試験は、当日まで実技テストの内容は明かされず、当日知り合ったメカと二人一組のペアを組んで、7分以内に課題をクリアするというものだった。
「10月に派遣が決定して、その後12月に富士スピードウェイでシェイクダウンテストがあるので、初めてそこでNBRマシンを見ました。
3日間のテストでは初日に三鷹のSTIに集まって、マシンをリフトアップして、レクチャーを受けます。
よく言われているように、ニュルは市販車ベースなので、レース用のモノもありますけど、変わらないところは変わらないんだと分かりました。
不安はあったので、注意するポイントを絞ってやっていくと考えてました」

そして5月15日〜17日の本番レースに向けて、ドイツ・アイフェル地方にあるニュルブルクリンクサーキットに乗り込んだ。
「到着したときは、『あのニュルだ!』ってなんかふわふわしてたのを覚えてます。
でもパドックの設営や必要なものを集めたり、引っ越し屋さんみたいに働いていくうちに慣れてきて、またマシンを使っての練習も繰り返しやっていたので馴れました」
この時、メカニックへの指示系統がSTIから示され、また担当部位も決まるため、誰の指示で何をやるのかが明確化されたことも安心材料なのだろう。
初めてのドイツ、初めてのニュル、そして初めてのニュル24時間レースという、初めてづくしの中で、小さなミスも許されない過酷なレースへと挑んでいくことになる。
そして決勝日のグリッドに整列し、多くの観客が押し寄せる中、寺嶋さんは「ドイツ国歌が流れてきたときは鳥肌がたちました」と興奮を隠さない。
レースは順調に始まり、WRXは8ラップもしくは9ラップでピットに戻ってくる。
「ピットで止まる場所が突然変わったりするんですよね。
ひとつのピットを5チームが使っていることもあって、タイミングが重なると予定していたところに止まれないので、『やべぇ、あっちだ』っていうのが毎回でした」
それでもチームはほぼ完璧に時間を消化しトップを維持している。レースがスタートして約12時間後。深夜3時過ぎに異変があった。

WRXはルーティンのピットインをする。メカニック達は担当作業を淡々とこなし、時間内に作業を終わらせていくが、その時の様子を寺嶋さんはこう振り返る。
「自分は左のリヤが担当だったので、タイヤを外したらもうグリスがびっちゃりついていて、足回りにも飛び散っているのが分かりました。
レース後に周りから『よく見つけたよね』って言われるんですけど、そういうんじゃなくて、誰が見てもわかるような状況でした」
具体的にはどのような状況だったのか。寺嶋さんは次のように続ける。
「グリスの色とか飛び散った量をみたら、すぐにドライブシャフトのブーツだと確信しました。
それで下に潜ってみたら、ブーツが破けてて、叫んだんですけど、ピットが騒がしいのと走行音と、それに目出し帽をかぶって口元が覆われていたので、周りに聞こえなかったらしく、もう一度叫びました。
でも自分の一言で『レースが止まる』って思った時は勇気が必要でした。
もう極めて正当な行為なんですけど、やっぱり一瞬心が揺らぐんですよね。
自分がレースを止めるという緊張は凄まじいものがありました」

直後にドライブシャフトの交換指示が飛び、WRXはピットボックス内に戻され作業に入る。
しかしその作業時間は短く、通常のピットインよりは長かったものの、レースをリタイヤするリスクを回避したことの成果は多大だ。
このドラシャ交換という事前対策はレースをノントラブルで走り切るための大切な判断のひとつだったのだ。
コースに戻ったWRXをドライブする佐々木孝太選手も、マシンは順調で全く問題ないと無線で伝えてくる。
朝日が昇る頃になるとラップタイムを削り始め、トップの座を明け渡すことなく快走を続けることができたのだ。
「ウマを掛けてても23cmしか上がらないので、顔の前にマフラーがあって、そこで作業を素早く行なうのは貴重な経験でした。
でもレースからのフィードバックを一般車へというイメージが強いと思いますが、この挑戦は市販車ベースなので、双方向に働く効果があると思います。
個人的には日々の業務をレースの場でも発揮するのが9割という印象でした」

また寺嶋さんはこうも話した。
「レースで通用する、動ける、スキルがあると認めてもらって選抜されたと思うので、その信頼を裏切らないようにすることと、スバルのディーラーメカニックはみんな高いスキルを持っているから、レースでも役に立つんだと思います」
寺嶋さんはレースメカニックの経験としてGR86&BRカップがあるという。
それでもニュルで、これだけ冷静に判断でき的確なミスのない作業ができたのは、日々の業務レベルが高次元で行われている証だと感じさせる。
「よく知らない人とペアを組むので、阿吽の呼吸はないから声出しの大切さを再確認しました。
こうした経験は自分の成長というより、後輩や同僚の成長のために使っていくべきだと思っています」

ちなみにこのディーラーメカニック派遣の仕組みは1990年のWRCサファリラリー参戦の時から継続して行われており、現在は日本国内のGR86&BRカップと全日本ラリーで同様の取り組みが行われている。
寺嶋さんの次の目標は、国家資格である「国家1級自動車整備士」を取得することと、全日本ラリーのメカニックへの挑戦だという。
ニュルのメカニックは一生に一度のチャンス。
その貴重な経験を持ち帰り、日々の業務の中に活かし、安心安全のスバル車をサポートする業務に反映する。これがSUBARUのディーラーメカニック派遣制度というわけだ。
Writer: 高橋アキラ
東京都出身。大学卒業後、自動車雑誌編集部で編集記者として活動し、主に改造車を得意とする分野で執筆。自らRE、L型エンジンのチューニング、組み立て、テストまで行なった経験を持つ。その後編集プロダクションを設立し、輸入車、国産車の自動車専門誌制作、執筆活動。ラジオ番組制作会社と合併し、クルマのラジオ番組制作、自動車専門Webの編集、執筆を経て、現在、ラジオ番組パーソナリティ、専門誌への執筆、Webへの投稿をしている。技術に裏付けられた個体評価や、次世代に向けた新技術解説、近年では変化する自動車産業について執筆、トークをする機会が増えている。











