トヨタが「謎のクルマ」を公開! 丸目2灯に“超軽量ボディ”採用した「ドイツ車」の正体とは!「段ボール製」のウワサは本当?
トヨタ博物館は2024年6月30日まで特別企画「お蔵出し展」を開催。日本ではなかなか見ることの出来ない珍しいクルマ「トラバント601」も展示されています。一体どのようなクルマなのでしょうか。
ボディが「段ボール紙」で出来ている!?
トヨタ博物館(愛知県長久手市)は2024年6月30日まで、特別企画「お蔵出し展」を開催しています。
同イベントは、普段は展示されないトヨタ博物館の希少な保管車両を「蔵出し」し公開するというもので、今回の展示車両には日本で販売されていない珍しいクルマである「トラバント601」も含まれています。
トラバントとは、かつて東西のドイツが統一する前に存在していた国家「ドイツ民主共和国(以下、東ドイツ)」において“国民車”の役目を務めた、不朽の名作といえる小型乗用車です。
同車は、東ドイツにあったザクセンリンク社(現在の「HQMザクセンリンク」)が開発を行い、1958年に初代モデルにあたる「P50」が誕生。
P50は、500ccの空冷2ストローク直列2気筒エンジンを搭載した2ドアセダンで、ボディサイズは全長3375mm×全幅1500mm×全高1395mmと、現在の軽自動車ほどのコンパクトなサイズが特徴です。
特筆すべきは車重がわずか620kgと軽量な点で、これはボディパネルの材料に綿の繊維とフェノール樹脂を使ったFRP(繊維強化プラスチック)を採用したため。
この構造によって軽量コンパクトなクルマを実現しているのですが、その一方でトラバントには「ボディが段ボール紙で作られていた」という逸話が存在します。
これは当時東ドイツと対立していた西ドイツが、東ドイツ製のクルマの品質の悪さを揶揄(やゆ)して広められたものといいますが、先述のように実際には段ボール紙ではなくFRP(繊維強化プラスチック)が用いられていました。(ただし、製造末期には綿繊維の代用として紙パルプを使用していたとの説もあるようです)
このように軽量かつコンパクトなP50でしたが、さすがに500ccではパワーが不足しているとの指摘が集まり、出力向上を目的に排気量を594ccへと拡大させたP60が追加されます。
1964年まではこのP50とP60の2モデルをラインナップし、東ドイツ内部で徐々に普及が進んだ後、1964年にフルモデルチェンジを行い、ついに601が登場します。
601はP60と同じエンジンを搭載していますが、シャーシを一新してボディサイズも拡大。車内空間は広く快適になりました。
そして601は1964年の発売開始以降、一度もモデルチェンジをすることなくひたすら作られ続け、名実ともに東ドイツ国民の足として定着。
1990年に601が生産を終了するまで、なんと300万台も製造されたといわれています。
その生産台数の多さを表す逸話として、ベルリンの壁が崩壊し東西ドイツが統一した後のニュース映像では東ドイツ側から同じクルマ(601)が延々と出続ける模様が映し出され、「あのクルマは何だ!?」と世界でも話題になったほどです。
その後1990年には、601のエンジンを1.1リッターモデルに拡大した「トラバント1.1」が登場。
同車は約1年にわたって販売されますが、この1.1を最後に、トラバントシリーズの製造は全て終了し、継続する歴史としては幕を下ろすことになります。
ちなみに、生産終了から20年以上間を置いた2007年に、トラバント生産開始50年を記念したコンセプトカー「トラバントnT」が発表されました。
同車はトラバントをモチーフとしたレトロな外観デザインを採用した電気自動車(EV)で、愛らしくもクセのある独特のスタイリングに注目が集まりましたが、残念ながら市販化には至りませんでした。
しかし、「もしトラバントが生産終了とならずにシリーズが継続していたら、今頃はこんな形になっていただろう」と思わせる力作のデザインは、今でも多くの人の記憶に残っています。
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このように東ドイツの国民車として歴史にその名を刻んだトラバント。
トヨタ博物館に収蔵されているものの、常設ではないためタイミングが合わないとなかなか見ることはできません。
今回のお蔵出し展はトラバントに会える貴重な機会ですので、2024年6月30日までに足を運んでみてはいかがでしょうか。
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