「スカイライン」≠「GT-R」のナゼ 歴史と伝統、そしてゴーン氏の「決断」
「スカイライン GT-R」の起源と終焉
「スカイライン GT-R」は、「スカイライン」の高性能版として誕生しました。「スカイライン」は、「GT-R」が登場する以前から、高性能でスポーティなセダンとして人気を集めていました。その人気の「スカイライン」で1964(昭和39)年開催の「第2回日本グランプリ」に勝つために、よりパワフルな6気筒エンジンを載せたのが「GT-R」のルーツになります。レースでは「スカイライン」が、優勝したポルシェ「904」を一時でも抜くという快挙を見せ、今に続く「GT-R」人気を作ったのです。
とはいえ、「スカイライン GT-R」は、あくまでも「スカイライン」というベースがあり、その高性能版というスタンスでした。ところが1990年代、日産の大不振時代に雲行きが怪しくなってきます。「スカイライン GT-R」の人気は相変わらず高いものの、ベースとなった「スカイライン」の人気がどんどんと落ちていったのです。そして1999(平成11)年に日産はルノーの傘下へ。最後の「スカイライン GT-R」のベースとなったR34型「スカイライン」は、わずか3年でフルモデルチェンジされてしまいます。
しかも、新型のV35型「スカイライン」は、本来は別のスポーツセダンとして開発されていたもの。「こんなのはスカイラインじゃない」という反発や、「スカイラインがなくなるよりはマシ」という意見が飛び交うクルマでした。もちろんV35型「スカイライン」は「GT-R」と関係なく生まれたので、同車に「GT-R」が追加されることはありませんでした。
一方、1999年6月より日産の新しいリーダーとなったカルロス・ゴーン氏は、「GT-R」の必要性を認めていました。日産の顔となるスーパースポーツとしての「GT-R」です。そこでゴーン氏は、大きな決断をくだします。「スカイライン」と「GT-R」を別のクルマにしたのです。