カープとマツダ、他人のふりのナゼ 両者をつなぐ特別な「赤」とは
球団に聞いた、カープとマツダの関係とは?
ことのいきさつは、当時「広島カープ」と名乗っていた球団設立時、太平洋戦争終結間もない1949(昭和24)年にさかのぼります。
チーム設立の発起人には、地元の中国新聞や広島電鉄といった企業の、重役クラス以上の名前が並びますが、球団組織そのものには親会社と呼べる企業がありませんでした。同年12月に開かれた球団発足式も、広島商工会議所で開かれています。
一方で2016年現在、球団運営会社である「株式会社広島東洋カープ」の株は、前述のようにマツダが約3分の1を所有していますが、そのマツダの創業家である松田家一族が個人名義で持っている株はこれを上回り、議決権ベースでは過半数を超えます。また、1967(昭和42)年、当時の東洋工業社長だった松田恒次氏が筆頭株主となり、翌年より「広島東洋カープ」と球団名を変更して以来、歴代球団オーナーも松田家の一族が務めています。
球団名に「東洋」と入りましたが、「東洋工業」は球団にとって、いわゆる「オーナー企業」としての位置づけにはありませんでした。確かに1984(昭和59)年、「東洋工業」は現在の社名「マツダ」となりましたが、このとき「広島東洋カープ」の球団名は変わらずそのままでした。カープ広報担当も「マツダの社名が当時『東洋工業』であったため、球団名も『広島東洋カープ』となり、それが現在も続いています」としています。
そして球団が、企業としては完全に独立して運営されていることもあり、「広島東洋カープ」は今もなお「市民球団」というイメージを保っているのです。