戦後初の「国産戦車」がスゴかった! 「61式」とはどんな戦車だったのか?
退役後も重要な任務につく61式
戦後初の国産戦車が制式採用されたのは1961(昭和36)年4月で採用年から61式戦車と命名されます。
アメリカの中古戦車を動かすには笑い話のような苦労がありましたが、61式にもやっぱり苦労がありました。
61式に乗っていたOBの誰もが熱く語るのが操縦の難しさです。今のクルマのギアチェンジはオートマチックが普通ですが、61式では昔の大型車と同じくエンジンとミッションの回転数を合わせ、ダブルクラッチ操作をして重い変速レバーを操作しなければなりません。
タイミングが合わなければギヤが鳴ってレバーははじかれます。その衝撃で捻挫したり手袋を着用していても手の皮が捲れたり腕時計が壊れたり、なかには力任せにギヤを入れようとして変速レバーを折ってしまう猛者もいたとか、話題は尽きません。
主砲を撃つのも敵との距離を測る測距機はあるものの、素早く射撃するには目標との距離を目測し、直接光学照準器を覗き込んで、撃って弾着を見て修正するという職人技のような熟練が必要でした。
戦車に限らず普通のクルマでも手足のように動かすには技が必要という「めんどくさい時代」でもありました。でもこの経験が国産戦車の基礎を築いたのです。
61式は2000(平成12)年に全車退役しましたが任務はここで終わりませんでした。
2019(平成31)年にヨルダン王立戦車博物館に展示品として海外派遣(無償貸与)されることになったのです。
中東では日本のクルマは有名ですが、戦車も国産していることが意外と知られていません。
現在も列国戦車と並んで日本戦車の技術歴史を語る国際広報任務に就いています。
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