なぜ日産「ダットサン廃止」報道飛び交う? 100年以上の歴史持つ老舗ブランドの行方
100年以上の歴史を持つという日産の「ダットサン」ブランドが廃止されるということが報じられています。近年では、新興国向けブランドとして展開されていたダットサン。由緒正しきブランドはどうなってしまうのでしょうか。
100年以上の歴史を持つダットサンが廃止へ
日産が新興国向けブランドである「ダットサン」ブランドを廃止すると各紙が報じています。
100年以上の歴史を持つという由緒正しきブランドはどうなってしまうのでしょうか。
現在のダットサンは、カルロス・ゴーン前会長が拡大戦略を採っていた2014年に立ち上がったもので、インドやインドネシア、ロシアといった新興国向けの低価格車を中心としたブランドでした。
グループ全体の位置付けとしては、グローバルで販売される「日産」、北米市場をメインとしたプレミアムブランドの「インフィニティ」に次ぐ第3のブランドであり、日産グループの新興国市場開拓のカギを握る、非常に重要なブランドとして期待されていました。
ダットサンの歴史は古く、その起源は1914年にまでさかのぼるといいます。
当時の自動車メーカーである「快進社」を支援した3名の頭文字が「D」「A」「T」であったことから、同社によって開発された乗用車の名を「DAT CAR」とし、日本語では「脱兎のごとく」という意味を込めて「脱兎号」と呼ばれました。
その後、快進社は「ダット自動車製造」へと名称を変え、1930年には小型乗用車の試作車を開発します。
この試作車は「DAT CAR」の息子(SON)であるという意味から、「DATSON(ダットソン)」と名付けられました。
その後、ダット自動車製造は、日産の創設者である鮎川義介氏によって買収されることになり、1934年に「日産自動車」という社名の自動車メーカーが誕生します。
その直前の1932年、「ダットソン」の「ソン」が「損」につながるということから、太陽を意味する「サン(SUN)」を用いた「DATSUN(ダットサン)」へと変更されました。
そんなダットサンですが、1934年の日産自動車発足時より小型乗用車やトラックが人気を博しており、一部はアジアや中南米などへと輸出されていました。
しかし、ダットサンを一躍有名にしたのは、1967年に北米市場へと投入された「ダットサン510」(日本名「ブルーバード」)です。
パワフルな1.6リッターのエンジンやスポーティな走りを実現する4輪独立のサスペンションを備え、それでいて、デビュー時の価格は2000ドルを下回るというコストパフォーマンスの良さが評価され、北米におけるベストセラーカーとなりました。
さらに、1969年に北米で登場した「ダットサン240Z」(日本名「フェアレディZ」)もまた爆発的な人気を誇り、ダットサンブランドの躍進に貢献することになります。
一方、ダットサンに転機が訪れたのは1981年のことです。
当時の社長であった石原俊氏は、各市場で販売されるクルマの「日産」ブランドへの統一を図ることを目的に、ダットサンブランドを廃止することを決定します。
とくに北米市場においては、「日産」よりも「ダットサン」のほうが認知度が高かったこともあり、ダットサンブランドの廃止を悲しむ声は少なくありませんでしたが、その後「ダットサン」の名は、一部の車名に用いられる程度の状態が続いていました。
ダットサンブランドの廃止から約30年が経過した2012年、新興国向けのブランド名として「ダットサン」の名が復活することになります。
しかし、今回の報道によれば、現在唯一のダットサン車生産工場であるインドのチェンナイ工場での生産が終了したことで、在庫車の販売をもってダットサンブランドの廃止が決定的となったと各紙は伝えています。
本件に関して、日産は以下のように回答しています。
「グローバルな事業構造改革の一環として、日産はお客さま、ディーラー、弊社のビジネスに最も利益をもたらすコアモデルとセグメントに注力していきます。
現在および将来のダットサンオーナーの皆さまには引き続き顧客満足度を最優先とし、弊社のディーラーネットワークから最高レベルのアフターサービス、部品供給、保証サポートを引き続き提供いたします」
EV化って時代の流れなのは分かるけど、災害や戦争で大規模停電したらどうなるの?。やはり電気の地産地消をしないと、広範囲が停電することによって無能の象徴になるのでは?。完全なるEV化は、先に問題点を潰してからにして欲しい。
良くも悪くもゴーン氏がいた頃は色々とプランはあったが、今の日産では出たとこ勝負感はあるし、車種そのものも国内専売、欧州専売、北米専売とバラバラでラインの維持も難しいだろうな。
もうダットサン廃止どころか日産倒産が日々近づいているのでは?