デザインが個性的かつスタイリッシュ! 海外生産の超絶イケてる日本車3選
現在、国産自動車メーカー各社は海外に生産拠点を設けており、日本に輸入して販売するケースも珍しくありません。この海外生産車のなかには、スタイリッシュなモデルも存在。そこで、かなりイケてた逆輸入車を、3車種ピックアップして紹介します。
個性的かつスタイリッシュなデザインの逆輸入車を振り返る
日本車の海外進出が本格化したのは1960年代の終わり頃で、当初は順風満帆ではありませんでした。しかし、1970年代になると一気に海外市場で売れるようになり、それが原因で後に日米間の貿易摩擦といった社会問題にまでなったほどです。
そこで1980年代になると、国産自動車メーカーは海外に生産拠点を設立し、現地生産を積極的におこなうことで日本からの輸出削減を図りました。
現在は世界中にある工場から、現地での販売だけでなくグローバルにクルマを輸出し、海外生産の日本車が日本に輸入されるケースも珍しくありません。
そうした海外生産車のなかには、個性的かつスタイリッシュな外観デザインが特徴のモデルも存在。
そこで、かなりイケてた逆輸入車を、3車種ピックアップして紹介します。
●ホンダ「アコードクーペ」
前述のとおり1980年代から日本のメーカーは海外に生産拠点を設立していましたが、なかでもホンダは、1982年から他社に先駆けてアメリカに工場をつくり、現地生産を開始。アメリカ製ホンダ車の第1号は2代目「アコード」でした。
そして、1985年に登場した3代目アコードでは日本車では初の試みとして、企画・開発・生産をすべてアメリカ法人でおこなったモデルとして、初代「アコードクーペ」が誕生。
アコードクーペは3代目アコードセダンのプラットフォームをベースに2ドアクーペのボディを架装し、内外装のデザイン、装備の選択、サスペンションのセッティングなどがアメリカホンダ独自となっていました。
初代アコードクーペ1987年に北米市場で発売され、翌1988年に日本で左ハンドルのまま輸入して販売を開始。
スタイリッシュなクーペボディに本革をふんだんに使ったゴージャスな内装、BOSE製のハイエンドオーディオシステムなど、アメリカらしさを感じさせる華やかな1台に仕上がっており、人気を獲得しました。
エンジンは最高出力120馬力の2リッター直列4気筒SOHCを搭載し、トランスミッションは4速ATのみと、DOHCエンジンやMTは設定されず、ラグジュアリーなクーペに仕立てられていました。
その後初代アコードクーペの成功を受け、1990年には2代目、1994年には3代目へとモデルチェンジし、右ハンドルと左ハンドルの2仕様が販売され、高性能なDOHCエンジンの「Si」グレードも展開されるようになりましたが、日本ではクーペ需要が低下してしまったこともあり、1997年に販売を終了し、4代目以降は輸入されませんでした。
北米仕様のアコードクーペはその後も7代目まで継続しましたが、2018年に生産を終え、歴史に幕を下ろしました。
●三菱「ディアマンテワゴン」
三菱は1980年に、オーストラリアに現地法人を設立し、1982年から同工場で生産を開始。日本でも1988年から「ギャランΣ」のオーストラリア仕様にあたる「マグナ」(ステーションワゴン)が輸入・販売されました。
このマグナの後継車にあたるのが「ディアマンテワゴン」です。
1990年に全グレードとも3ナンバー専用ボディの初代「ディアマンテ」を発売され、スタイリッシュな外観デザインと高級感のある内装、余裕あるパワーのエンジン、199万8000円から(消費税含まず)という戦略的な価格設定など、すべてが良好に作用してヒット作となりました。
さらに、当時のステーションワゴン人気に対応するため1993年に、オーストラリア工場で生産されたディアマンテワゴンを発売。
外観はディアマンテと共通のフロントセクションと、セダンの伸びやかなフォルムを生かしたスタイリッシュなデザインを採用し、内装は本革のシートとトリム、フルオートエアコン、4インチ液晶カラーテレビ一体型のハイエンドオーディオなどを標準装備する高級ワゴンというコンセプトでした。
エンジンは最高出力165馬力を発揮する3リッターV型6気筒SOHCのみで、トランスミッションは4速ATが組み合わされ、ツーリング性能を重視。発売当初は2WDの1グレードのみで展開されました。
初代ディアマンテワゴンは1997年まで販売され、同じくオーストラリアで生産された2代目にバトンタッチしましたが、セダンほどの人気は得られず2001年に生産を終了しました。
●日産「ブルーバード オーズィー」
前出の三菱と同じく日産も古くからオーストラリアに進出しており、1976年にはオーストラリアで現地法人を立ち上げて販売を開始し、1980年代には工場を設立。日本国内と同一のモデルだけでなく、オーストラリア独自の車種も展開していました。
そのなかの1台が8代目「ブルーバード」の派生車「ブルーバード オーズィー(現地名:ピンターラ)」です。
ブルーバード オーズィーは1991年に限定モデルとして日本で輸入・販売され、ボディは一見するとスタイリッシュなステーションワゴンですが、日産はブルーバード 5ドアハッチバックとアナウンスし、「スーパーハッチバック」と呼称していました。
外観は「U12型」ブルーバードに準じたフロントセクションに、セダンに近いショートルーフ、傾斜角を寝かしたリアハッチなど、現在の欧州製シューティングブレークを先取りしたようなフォルムです。
また、スポーティな5ドアハッチバックというコンセプトから、前後バンパーにアンダースポイラー、サイドステップ、リアスポイラーなどの各種エアロパーツが装着されていました。
また、内装では専用設計のシートに、セダンの上位モデルと同等の本革巻きステアリングとシフトノブが装着されるなど充実した装備で、ほかにも2:1分割可倒式のリアシートなどユーティリティの高さはステーションワゴンに匹敵しました。
エンジンは日本仕様専用に最高出力140馬力を発揮する2リッター直列4気筒DOHC「SR20DE型」を搭載し、トランスミッションは4速ATのみと、ツーリング性能が重視されていました。
ブルーバード オーズィーは当初の予定どおり3か月ほどで販売を終了。なお、当時ブルーバード オーズィーを購入すると、オーストラリア製ムートンのシートカバーと、オーストラリア国旗をあしらったキーホルダー、カンガルーのぬいぐるみがプレゼントされました。
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前出のアコードクーペだけでなく、三菱「エクリプス」、日産「クエスト」など、1980年代の終わりから1990年代初頭に輸入・販売されたクルマは、今では考えられませんが左ハンドルのままでした。
バブル期は左ハンドルのクルマがステータスシンボルという背景があり、イギリスのクルマでさえも左ハンドル仕様が輸入されていたほどです。
現在は左ハンドルをありがたがる文化はありませんが、実はロールスロイスやベントレーのモデルは、今も日本で左ハンドル仕様が多く販売されているといいます。
そもそも設計のベースが左ハンドルであることや、オーナーが左ハンドルに慣れている、ショーファードリブンだと左ハンドルの方が適しているなどが理由のようです。
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