石原元都知事は「無類のスポーツカー好き」だった? 賛否の「ディーゼル車NO作戦」を敢行するも愛した国産スポーツカーとは
2022年2月1日、89歳で永眠された石原慎太郎さん。東京都知事を務めた際にはディーゼル車規制を実施するなどらつ腕をふるいましたが、実は無類のスポーツカー好きという側面もありました。
ディーゼル車規制で賛否両論も、強い意志を押し通す
2022年2月1日、作家や政治家として活躍された石原慎太郎氏が、東京都大田区の自宅で永眠されました。89歳でした。
東京都知事を務めた際には、「ディーゼル車規制」を実施するなどらつ腕を振るいましたが、実は無類のスポーツカー好きという側面もありました。
1956年に「太陽の季節」によって当時史上最年少で芥川賞作家となった石原氏は、1968年に政界に進出。
1999年からは東京都知事として2012年まで都政に携わった後、2012年末には衆議院議員総選挙に当選し、17年ぶりに国政に復活を果たしました。
その後2014年12月に政界引退を表明するまで、長きにわたって日本の政治をけん引し続けました。
政治家としての石原氏の活動は多岐にわたりますが、自動車関連でいえば、都知事時代の1999年から実施された「ディーゼル車NO作戦」が有名です。
これは、その名の通り、都内においてディーゼル車の走行を規制するもので、ディーゼル車が排出する黒いスス(ディーゼル粒子状物質:DPM)の入ったペットボトルを振り回した、当時のセンセーショナルな記者会見は多くの人の記憶に残りました。
当然、この政策には反対の声も多く上がりましたが、東京都独自の排出ガス基準を策定し、基準を満たさないディーゼル車の走行を禁止したり、大規模事業者に低公害車の導入を義務付けたりする条例を制定し、環境に悪影響を及ぼすディーゼル車の締め出しを徹底しておこないました。
その結果、埼玉・千葉・神奈川といった近隣県も東京とほぼ同等の規制を採用したほか、環境省や日本自動車工業会でも環境規制に対してより積極的な姿勢を見せるなど、石原都知事が掲げていた「東京から国を変える」を体現する結果となったのです。
この「ディーゼル車NO作戦」によって、日本人の多くがディーゼル車そのものを悪者ととらえるようになったといわれています。
しかし、当時石原都知事が提唱していたのはあくまで「汚いディーゼル車」や「不正軽油を用いたディーゼル車」に対する規制であり、ディーゼル車そのものを否定しているわけではありませんでした。
そのセンセーショナルなパフォーマンスには賛否両論の声がありましたが、それでも多くの人が、クルマが環境に与える影響について考えるきっかけとなったのも事実です。
現在、世界中の大都市でクルマによる公害が社会問題となっており、一部の都市では基準を満たさないクルマの走行を制限する条例を採用しています。
石原都知事の採った政策は、そうした世界の動きに先駆けるものであったといえるでしょう。
ディーゼル規制は正解だったと思う。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。