昭和時代のドライブは大変だった! もしもの事態にどう対処? あるあるトラブル3選
未舗装の道路が悲劇を生み出すことも…
●パンク
昭和の道路は舗装だったり未舗装だったり、あちこちに石があったり、ところどころに釘やガラス片が落ちているありさまだったことから、パンクが珍しくありませんでした。
現在のクルマのように、ランフラットタイヤやパンク修理剤はもちろんのこと、自動車保険のロードサービスも携帯電話もない時代です。パンクをしたら、自分でスペアタイヤに交換する必要がありました。
タイヤに輪留めをし、ホイールナットを軽く緩めてからジャッキポイントをジャッキアップ。タイヤを交換してナットを軽く締め、ジャッキを下ろしてからナットの本締めをします。
この工程を頭に叩き込んでおかないと、ただまごまごするだけ、同乗者は愛想をつかしてしまうのです。
わざわざパンクをさせる人はいませんでしたが、パンクしたタイヤの交換は、男の大事な仕事でした。
手順を正確に記憶している人はそうそういなくて、ジャッキポイントでないところにジャッキをかけてクルマをへこませてしまったり、ホイールナットが緩まなかったり、本締めのときに締めすぎてボルトを折ってしまったり、本締めを忘れてタイヤが自分のクルマを追い抜いて行ってしまったり、スペアタイヤの空気が抜けていたりと、タイヤ交換にまつわる失敗談は、それこそドライバーの数だけあったものです。
●ぬかるみにはまる
いまと違って、当時の道路の路肩は泥がむき出しだったり、郊外の集落や個人宅の駐車場も、未舗装が当たり前。砂利を敷いていればまだましなほうです。
そして、クルマを路肩に寄せすぎたり、雨の日に砂利もない駐車場にクルマを停めると、タイヤがぬかるみにはまり込んで脱出できなくなることがよくありました。
一度泥にはまってしまうと、駆動力は路面に伝わりません。
そんなときは、周囲に人がいないか探し、協力してもらいます。多くの人が経験していたことですから、お互い様で、たいていの人は協力してくれました。
ただ後ろからクルマを押しても、ぬかるみからは出られません。
クルマを前後にゆすり、振り子のようになって動くようになったら、クルマがぬかるみから出そうな瞬間を狙って全員で力いっぱい押します。すると、勢いに乗って脱出できることもありました。
ただし、本格的なぬかるみの場合にはそうはいきません。
駆動輪の下に毛布などを敷き、タイヤがぬかるみに飲み込まれないようにしながら、クルマを押します。
とくに駆動輪の片側がスリップすると、もう一方の駆動輪に駆動力が伝わらなくなってしまいます。
それでもダメな場合は、大型トラックなど重くて力があるクルマや、トラクターなどにお願いをして引っ張ってもらう必要がありました。
脱出できたときには、お礼にひとひねりのお札を渡すのも慣例でした。
※ ※ ※
どれもいまでは化石になりつつある知識ですが、完全にはなくなっていません。
オーバーヒートはいまでも起こります。冷却液のメンテナンスを怠った、サーモスタットという温度調整弁や電動式になった冷却ファンが故障した、などの場合です。
トラブルが減ったためなのか、メーターからは水温計も廃止され、高水温警告灯が危険な状態が差し迫ってから初めて点滅するようになったのです。
パンクも相変わらず健在です。タイヤの空気圧点検をこまめにおこなわない人もおり、空気圧不足で高速道路を走行するとパンクよりも危険なバーストが発生してしまうのです。
いつの時代もクルマのメンテナンスは適切におこなう必要があるといえますが、ぬかるみだけはなくなりましたね。
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