昭和時代のドライブは大変だった! もしもの事態にどう対処? あるあるトラブル3選

1964年の東京大会に続き、57年ぶりに2回目となる東京オリンピックが2021年に開催されました。最初のオリンピックはマイカーが普及し始めた頃。当時のドライブ風景はどのようなものだったのでしょうか。

クルマの性能が高くない昭和時代 いまでは考えられないトラブルも!?

 日本でマイカーが普及し始めたのは、1回目の東京オリンピックが開催された1960年代で、多くの人がクルマを所有するようになりました。

 それと同時期に幹線道路が本格的に舗装されるようになりましたが、それ以外はほとんどが砂利道や泥道。郊外のあぜ道ともなれば、1980年代中頃になってようやく舗装されたという具合です。

 当時はクルマの性能や耐久性も高くなく、ドライブに行くとさまざまなトラブルが発生したものです。

 昭和のドライブではどのようなトラブルが起こりがちだったのでしょうか。

昭和のドライブは今より大変だった!?(写真は日産 ブルーバード)
昭和のドライブは今より大変だった!?(写真は日産 ブルーバード)

●オーバーヒート

 いまでこそクルマの冷却液には「長寿命型ロングライフクーラント」を使用することが当然ですが、そうでなかったころは2年に1回の交換が必要でした。

 うっかり交換を忘れると、冷却液が回る水路が錆びてラジエーターが詰まり、エンジンがオーバーヒートしてしまうことがありました。

 また、ノロノロ運転や山道などでは走行風が弱くなるので、ラジエーターが冷えにくくなります。

 そんなときにエンジンの回転を上げたりするとすぐに冷却液温度が上昇し、オーバーヒートの恐れが出てきます。

 冷却用のファンもエンジンの回転に合わせて回る機械式ファンだったため、夏場の低速運転は常にオーバーヒートの危険にさらされていました。

 クーラーは1970年代になってカーアクセサリーのひとつとして登場しました。

 基本的な構造や、家庭用エアコンの室外機にあたるラジエーターが車両の前方にあることは現在のクルマと変わりません。

 そしてクーラーを使用するとエンジンのラジエーターが冷えづらくなります。クーラーを装着しない前提で設計されたクルマに後からクーラーを搭載すると、夏場はオーバーヒートの恐れがあったのでした。

 では、オーバーヒートしそうになったらどうしていたのでしょうか。

 じつは、もうひとつのラジエーターがあり、それは冬に使う「ヒーター」です。

 何気なく使っているヒーターですが、エンジンが発生した熱をもとにしています。この熱を冷却液に伝えてラジエーターまで循環、外気に当てて冷やしています。

 その冷却液の一部を、ダッシュボードのなかに設けたもうひとつのラジエーターに持ってきて風を当てることで、室内に暖かい空気を噴き出しているのがヒーターなのです。

 夏の暑いなかでヒーターを使うのはまさに「ガマン大会」ですが、オーバーヒートは避けたいもの。

 温度設定を最高温度にして、ファンを最高速度にすることで冷却液を冷やし、エンジンのオーバーヒートを防いでいたのでした。

 それでもダメなときは、路肩にクルマを置き、ボンネットを開けて風通しを良くし、エンジンを止めずにアイドリングをさせて冷却液の温度を下げるのです。

 このとき、基本的にはエンジンを止めません。エンジンを止めると、エンジンによって駆動しているラジエーター冷却用ファンも止まってしまうので、あっという間にオーバーヒートしてしまうのです。

 エンジンがオーバーヒートをすると、シリンダーヘッドガスケットというエンジン内部の圧力を保っているガスケットが抜けてしまい、エンジンは停止。さらに高額な修理費用が待ち受けているのでした。

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