メルセデス三代目「SL」はラグジュアリー スポーツの開祖【誕生ヒストリー】
モータースポーツ復活のきっかけとなった「SL」とは
ところで、1955年にル・マン24時間レースで発生した忌まわしい大事故以来、永らくモータースポーツの現場から離れていたダイムラー・ベンツ社(当時)だが、約四半世紀ぶりとなる1970年代末にワークスチームを再編成。ワークスチューンの450SLC5.0を擁して、モータースポーツシーンへの復帰を果たすことになる。
その時の舞台はWRC(世界ラリー選手権)。とくに力を入れたのは、アフリカのケニアを中心に開催され、当時は世界的な高い人気とプレステッジを誇っていた「イーストアフリカ・サファリ・ラリー」である。
当時はパワーステアリングに3速フルATという豪華なラリーカーと、ヘリコプター部隊まで動員した巨大チーム体制が話題となったが、さすがのシュトゥットガルトの巨人も長いブランクには勝てなかったようだ。
はるかに小さなチーム規模で臨んだ日産ワークスが擁する当時のサファリ・キング、ダットサン「160J(1980年は「バイオレットGT」に改名)」ことPA10型「バイオレット」には1979年、1980年ともにことごとく歯が立たず、最高でも総合2位に終わっている。
●ベストセラーとなった3台目「SL」
そろそろ話題を市販車に戻そう。
380/500の登場からわずか2年後となる1982年、C107系SLCはW126型「Sクラス」をベースとする4シータークーペ、C126系「SEC」にあとを譲るかたちでフェードアウトすることになった。
一方、再び「SL」だけの編成となったR107系は、安全政策の施行によってフル・オープンカーが北米で販売できなくなるという疑心暗鬼が、1970-1980年代の自動車業界に蔓延したことによって、モデルチェンジのチャンスを逸してしまったせいか、結果的に例外的な長寿を保つことになった。
モデル最終期を迎えた1986年には、W124型「Eクラス」用からコンバートした3リッター直列6気筒SOHCエンジンを搭載する新エントリーモデル「300SL」と、380SLのV8エンジンを4.2リッターに拡大した「420SL」が、欧州マーケット向きに設定される。また北米/日本仕様に限っては、V型8気筒5.6リッターを搭載する「560SL」も追加された。
ただし、この560SL(最高出力235ps/最大トルク39.6mkg)はもともと排気ガス対策のシビアな市場向けに作られたもので、EC仕様の500SL(最高出力240ps/最大トルク41.0mkg)と比較すると、パワー/トルクともに若干ずつながら劣っていた。
しかし、当時バブル景気を謳歌していた日本、そしてこのクルマのメインマーケットであるアメリカでは、すでに旧態化が進んでいたにもかかわらず、高い人気を保ち続けることになる。
そして、1971年から新型R129が発表される1989年まで、実に18年という長きに亘って生産され、総生産台数は約23万7000台。このうちの大部分、約3分の2は西海岸を中心とするアメリカで販売されたといわれている。
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