見慣れぬトヨタ「中国クラウン」!? 日本同様に「憧れ」はセダンからSUV・ミニバンに移り変わったのか

1955年に初代「クラウン」を発表したトヨタですが、クラウンは日本市場を重要視して開発されてきました。しかし、1964年から中国市場にも少数ながら輸出されていたのです。中国でのクラウンにはどのような歴史があるのでしょうか。

中国におけるクラウンの始まりは1964年

 トヨタ「クラウン」といえば、基本的に日本専用セダンというイメージが強いですが、中国市場では日本とは異なるクラウンがかつて販売されていました。
 
 どのような仕様のクラウンが販売されていたのでしょうか。

日本仕様とは異なるデザインのトヨタ「クラウン」(撮影:加藤ヒロト)
日本仕様とは異なるデザインのトヨタ「クラウン」(撮影:加藤ヒロト)

 1955年に初代クラウンを発表したトヨタは、1949年に建国したばかりの中華人民共和国に向け、1964年に64台のクラウンを輸出し、当時の中国でもっとも歴史と権威のある見本市「広州交易会」にもそのクラウンを出展しました。

 その時代の中国では自家用車は普及しておらず、一般の人民がクラウンを手にする機会はほぼ皆無だったといいます。

 1970年代後半から1980年代にかけて、当時の最高指導者であったトウ小平は経済中心の政策を掲げ、それまで外資の導入に否定的だった中国を徐々に開放傾向へと改革していきます。

 それもあってか、1983年に登場した7代目クラウンは地方政府などが使う公用車として1000台ほど輸入されました。

 1990年代に入ると、少数輸出の8代目クラウンとともに、中国で生産を開始したばかりのフォルクスワーゲンやアウディが公用車として使用され始めたため、払い下げられたクラウンが民間に出回ることもありました。

 当時は毎月6800台程度の日本車が中国に輸入されており、そのうちの4割近くがトヨタ車。クラウンはその4分の1程度を占めていました。

 約600台のクラウンが定期的に中国へ輸出されるようになり徐々に中国国内での評判を高めていったのです。

 なお、正規に輸入された個体以外でも、ロシアと近い中国北部の吉林省、香港と近い中国南部の広東省あたりでは、ロシアと香港それぞれから密輸されたクラウンなどが狭い範囲で市場に出回りました。

 当時の中国は輸入車に関わる税金が60%から80%と非常に高額であったため、税金を回避するために日本から輸入された車両(トヨタ、日産、ホンダなど)のタイヤ、ミラー、ドアハンドルなどを外して「自動車部品」の名目で香港に出荷。広東省で完成車として組み立てられていた例もありました。

 これらはすべて密輸と見なされており、多額の投資をおこなった合弁事業や輸入税から収入を失った中国政府の双方に大きなダメージを与えることになります。

 結果、1998年9月8日に違法行為が横行していた広東省南部で200人以上の政府、税関、法執行官が逮捕される「9898密輸事件」に繋がります。

 これは過去50年間で最大規模の密輸事件として自動車業界をはじめ鉄鋼業界、石油業界などに大きな影響を及ぼすこととなりました。

 その後、トヨタは1998年に四川トヨタ自動車有限会社(現:四川一汽トヨタ自動車有限会社)、2000年に天津トヨタ自動車有限会社(現:天津一汽トヨタ自動車有限会社)などの合弁会社を設立します。

 中国で最初に設立された国営自動車メーカー「第一汽車」との提携などもあり、現在はそれらすべてを総称して「一汽トヨタ」と呼ばれています。

 2005年には中国向けのクラウンの生産が開始されますが、それまでずっと日本で生産されていたクラウンにとって歴史的な転換点となりました。

【画像】クラウンはセダン脱却!? SUV&ミニバンとなったクラウンを一気に見る(74枚)

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