超高級なスカイラインがあった? 名門デザイン工房が手掛けたユニークな車3選
自動車メーカーは新型車の開発をおこなう際に、自社だけでなく外部に委託することがあります。これはデザインも同様で、かつては国内メーカーも海外のデザイン工房に委託することも珍しくありませんでした。そこで、名門デザイン工房が手掛けたユニークなクルマを、3車種ピックアップして紹介します。
カロッツェリアがデザインしたユニークなクルマを振り返る
クルマの販売台数を左右する重要な要素のひとつが外観デザインです。各メーカーとも優秀なデザイナーを雇い、長い時間と多くのプロセスを経て、デザインを完成されています。
一方で、近年は少なくなりましたが、かつて国産メーカーでは海外の著名なデザイナーやデザイン工房(カロッツェリア)にデザインを委託することも珍しくありませんでした。
著名なデザイナーは世界中のメーカーからデザインを任され、これまでも歴史に残るような名車を数多く輩出してきましたが、なかには非常に珍しいモデルや面白いモデルも存在。
そこで、名門デザイン工房が手掛けたユニークな日本車を、3車種ピックアップして紹介します。
●スズキ「キャリイ」
スズキの現行モデルで商用車というと、軽トラックの「キャリイ」と軽バンの「エブリイ」がありますが、かつてはキャリイの車名に統合されていました。
初代は1961年に発売された「スズライト キャリイ」で、ボンネットタイプのトラックとバンでしたが、その後3代目からは車名がキャリイになり、同時にボディも荷台や荷室が広くできるレイアウトのキャブオーバーへと変えられました。
そして、1969年に発売された4代目では、外観のデザインを巨匠ジョルジェット・ジウジアーロが手掛けました。
ジウジアーロは1960年代から活躍していたイタリア出身の工業デザイナーで、これまでクルマのみならずカメラや時計など、さまざまな工業製品のデザインを手掛け、1969年には自らデザイン会社であるイタルデザインを創設。
クルマにおける代表的な作品はフォルクスワーゲン初代「ゴルフ」やフィアット初代「パンダ」、国産車ではいすゞ「117クーペ」、日産初代「マーチ」などが挙げられます。
4代目キャリイのデザインは非常にユニークで、なかでもバンはフロントウインドウとリアウインドウの傾斜角度がほぼ同じで、横から見ると前後のデザインが対称となっていました。
しかし、商用バンは限られたサイズのなかで荷室容量を稼ぐことが重要なことから、この4代目キャリイのデザインでは荷室を大きくできないという問題が発生。
そのため1972年に登場した5代目では、リアハッチの傾斜を立たせたオーソドックスなスタイルに変わってしまいました。
●ホンダ「シティ カブリオレ」
ホンダは1981年に、それまでのコンパクトカーの常識を覆すデザインを採用した初代「シティ」を発売。
シティは高い全高と極端に短いフロントノーズ、全体のフォルムを台形とし、限られたサイズのなかで人が乗る空間は広く、エンジンなどのメカが収まる空間は小さく、という機能美ともいえるデザインはユーザーから絶大な支持を受け、大ヒットしました。
その後、バリエーションの拡充をおこない、1984年にはオープンカーの「シティ カブリオレ」を追加ラインナップ。
ホンダのオープンカーといえば1960年代に誕生した「Sシリーズ」がありましたが、シティ カブリオレの開発をおこなう際には当時のノウハウは古すぎて生かせず、ボディの基本構造やソフトトップのスタイリングとレイアウトは、イタリアのカロッツェリアであるピニンファリーナに委託しました。
ピニンファリーナはバッティスタ・ファリーナが1930年代に創設した名門カロッツェリアで、フェラーリ、マセラティ、アルファロメオなどの歴代モデルをデザインし、クルマ以外にも数多くの工業デザインを手掛けています。
当然、オープンカーのデザインについてもノウハウがあり、シティ カブリオレの開発を任されたということです。
しかし、試作されたモデルではオープン時に折りたたんだソフトトップがかなり大きく、後方視界がほとんど無い状態だったため、ホンダ社内でソフトトップの構造設計をやり直したといいます。
その甲斐あってシティ カブリオレはオープン、クローズドのどちらも優れたフォルムを実現し、ボディカラーを異例ともいえる12色用意するなど話題となり、ヒット作になりました。
なお、前席と後席の間にあるロールフープには、ピニンファリーナのエンブレムが装着されています。
●プリンス「スカイラインスポーツ」
日産の現行ラインナップで、系譜が途切れることなく、もっとも長い歴史を刻んでいるのが「スカイライン」です。
初代と2代目は日産と合併する以前のプリンス自動車が開発したモデルで、初代は当時の先進技術を積極的に採用し、2代目はレースで活躍することでスポーティなイメージを確立。現在もそのDNAは受け継がれています。
このプリンス自動車時代にもう1台のスカイラインが誕生。それが1962年に発売された「スカイラインスポーツ」です。
内外装のデザインはイタリアの著名な工業デザイナーである、ジョヴァンニ・ミケロッティが担当。
ミケロッティはトライアンフのスポーツカーや、現在のBMW「3シリーズ/5シリーズ」の原点ともいえる「1500シリーズ」、国産車では日野「コンテッサ」など、数多くの名車を手掛けています。
スカイラインスポーツは高級セダンの初代「グロリア」のシャシとパワートレインをベースに製作され、デザインで特徴的なのがフロントフェイスで、左右に吊り上がって配置された丸目4灯のヘッドライトは当時の国産車ではありえないほど斬新でした。
発売に先立って1960年にイタリアのトリノ国際自動車ショーで、青いカラーリングの2ドアクーペと、白いカラーリングのコンバーチブルという2台のスカイラインスポーツのプロトタイプが出展され、デザイン大国の地で大いに注目されたといいます。
全体のフォルムは直線基調ながら伸びやかで美しさを感じさせるスタイリングとなっており、内装は余計な加飾を排除したシンプルなインパネまわりや、ナルディ風ステアリングなど、欧州テイストあふれるスポーツカーに仕立てられています。
また、当時としては先進的なオートチューニング機能があるラジオや、モーターで伸縮するオートアンテナが標準装備されるなど、スカイラインスポーツは高級車でもありました。
実際に新車価格はクーペが185万円、コンバーチブルが195万円と、同世代のトヨタ2代目「クラウン」が105万円ほどでしたから、いかにスカイラインスポーツが高額だったことがわかります。
スカイラインスポーツは高額な価格に加え、ボディの製造工程のほとんどが手作業だったため量産できず、生産台数はクーペが35台、コンバーチブルが25台と、合計でもわずか60台しか生産されなかったため、今では幻のクルマです。
※ ※ ※
海外の名門カロッツェリアにデザインを委託した国産車というと、すべて優れたデザインというイメージがありますが、そうとは限りません。
たとえば、1963年に発売された日産(ダットサン)2代目「ブルーバード」は、前出のピニンファリーナがデザインを手掛けましたが、セダンではトランクが後ろに向かって下がる「尻下がり」が日本では受け入れられず、販売が低迷しました。
そのため、1966年のマイナーチェンジで、リアまわりの大幅なデザイン変更がおこなわれた経緯があります。
いくら巨匠がデザインしたといっても国や人種によって趣味や嗜好が異なることから、必ずしもヒットするわけではないようです。
コメント
本コメント欄は、記事に対して個々人の意見や考えを述べたり、ユーザー同士での健全な意見交換を目的としております。マナーや法令・プライバシーに配慮をしコメントするようにお願いいたします。 なお、不適切な内容や表現であると判断した投稿は削除する場合がございます。