身から出るサビに翻弄された「アルファスッド」 本当は100万台以上売れた名車だった!?

ボディが錆びにくければ、間違いなく名車だった!?

 約4年の開発期間を経て、いまから50年前となる1971年にデビューしたアルファスッドは、実用的なコンパクトカーとしての資質と、アルファ ロメオのブランド名に相応しいスポーツ性を兼ね備えた傑作となった。

 パワーユニットは、一説には「日本のスバル1000用エンジンの影響を受けた」ともいわれる、低重心かつ超ショートストロークのボクサー(水平対向)4気筒SOHCエンジン。等速ジョイントが発展途上だったこの時代には、ティーポ103の経験から横置きFWDには不安要素があると判断したフルシュカ技師は、縦置きの前輪駆動を選択。フロントのオーバーハングを短く収めるため、水平対向のシリンダーレイアウトを選んだとされている。

●クォリティ問題に翻弄された傑作

最終期の「アルファスッド・スプリント」
最終期の「アルファスッド・スプリント」

 そのかたわら、フロントをインボード化した4輪ディスクブレーキなど、ベーシックカーにはもったいないほどの高度なメカニズムを惜し気もなく投入することによって、この上なくシャープなハンドリングと快適な乗り心地、そして高度の実用性を両立することに成功した。

 ボディデザインは、創業から3年を迎えていたイタルデザイン社が担当。すでに巨匠としての名声を築き始めていた創業者ジョルジェット・ジウジアーロは、アルファ ロメオ「ティーポ33.2ストラダーレ」をベースとするコンセプトカー「イグアナ」などで試行したボディラインを、2BOXコンパクトカーのプロポーションに巧みに落とし込むことで、流麗なスタイリングと優れたパッケージングを両立することに成功した。

 デビュー当初のボディタイプは、2ドアと4ドアのファストバック型ベルリーナ(セダン)のみ。1973年末には高性能版の「アルファスッドti(turismo internazionale)」が追加された。また1975年には豪華版にあたる「L(Lusso:デラックス)」が4ドア版に設定されたほか、ロングルーフスタイルにリアゲートを設けた3ドアワゴン「ジャルディネッタ」が追加された。

 さらに1976年には、同じくイタルデザインのジウジアーロによってデザインされたスタイリッシュなクーペ「スプリント」も用意される。もとより、スポーツカー顔負けのハンドリングを身上としていたアルファスッドながら、より低重心のスポーティなスタイルを得たことによって、スッド・スプリントは掛け値なしのスポーツカーと評されるようになった。

 一方、当初1186cc・63ps(スタンダード)/68ps(ti)でスタートした水平対向4気筒SOHCエンジンは、まず1976年にスプリント/1300ti専用の1286cc・75psが追加。1978年にはスタンダードが1351cc・79psにスープアップされるとともに、スプリント/1500tiには1490cc・105psが載せられることになる。

 そして1980年になると、大型樹脂製バンパーの採用やテールライトの大型化などで外観が大幅にモダナイズされた後期型、通称「Seria 2a(シリーズ2)」に発展する。このシリーズ2では、ボディパネルの一部に亜鉛メッキ鋼板が使用されるなど、デビュー以来アルファスッドの致命的弱点といわれた防錆対策も改善。インテリアも一新されることで、こちらもスッドの弱点だったフィニッシュも若干ながら向上した。

 エンジンは85psの1.35リッターがスタンダード版、105psの1.5リッターがスプリントとtiに搭載。翌1981年には、ボディスタイルに相応しいテールゲート付き3/5ドアのハッチバック版も、ようやく追加されることになった。

 アルファスッドは、少なくとも設計段階においては半世紀前の技術的水準を大幅に超える、優秀かつ魅力的な小型車だったことは間違いない。

 ところが基本設計の素晴らしさと裏腹に、とくにデビュー当初のモデルは当時のイタリアの労働問題が一因となるフィッティングの悪さ。そして、労働争議に悩まされたイタリア鉄鋼産業の生産力不足を補うため、旧ソ連から輸入したといわれるボディ用鋼板による錆と腐食の問題に悩まされ、「ナポレターノ(ナポリ製/イタリア俗語では“まがいもの”という意味もある)」のネガティブなイメージは、最後まで好転することはなかった。

 1983年には事実上の後継車となる「アルファ33」がデビューしたものの、アルファスッドは残存パーツの消化のためか、短期間ながら生産を継続。翌1984年までに生産された台数は、ベルリーナ/ジャルディネッタだけでも89万3719台にのぼったとされる。

 また、スポーツカーとして位置づけられたスプリントのみは1989年まで継続生産され、1987年以降はエンジンをアルファ33上級モデル用の1712cc・118psにコンバート。累計生産台数は12万1434台となった。つまり、悲劇の名作とも称されるアルファスッドながら、通算で100万台以上がポミリアーノ・ダルコ工場から送り出され、商業的には決して失敗作ではなかったことになる。

 しかし、錆と腐食が多いクルマゆえに、早い時期からスクラップにされてしまう事例が多く、生産台数のわりには残存数は非常に少ないという。その事実が、現在のクラシックカーマーケットにおいては希少価値をもたらし、とくに残存数の少ない初期モデルの「ti」や「スプリント」でコンディションのよいものは、現代の国際クラシックカーマーケットにおいて、ひとかどのコレクターズアイテムと化しているのは、ある意味歴史の皮肉ともいえるかもしれない。

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