1台で1億円も!? 売らないクルマなぜ作る?「コンセプトカー」の目的は
モーターショーなどに登場するコンセプトカーは、「見せること」が最大の目的ですが、サーキット走行が可能だったり市販化に結び付いたりしたモデルも。デジタルで設計できる時代にそんな「売らないクルマ」を、なぜ自動車メーカーは作るのでしょうか。
コンセプトカーからガラリと変わった市販車といえば……
2021年4月22日、日本自動車工業会の記者会見で豊田章男会長は東京モーターショー2021の開催中止を発表しました。新型コロナウイルス感染拡大を考慮した判断なのはいうまでもありませんが、67年の歴史の中で開催中止は初めてとなります。
そんな東京モーターショーは海外のモーターショーと比べると、大きな特色・個性がありました。その一つが、「コンセプトカー」の展示が圧倒的に多いことでしょう。
ちなみに東京モーターショーで市販されていない試作車が初めて登場したのは、1956年(第3回)のプリンス「BNS-J」だそうです。それ以降、東京モーターショーではさまざまなコンセプトカーが披露されてきました。
一口にコンセプトカーといっても役割はさまざまです。そのカテゴリーは大きく分けると、市販予定は全くなくメーカーの技術力や将来進むべき道を一台のクルマとして表現した「純粋なコンセプト」、次期モデルの方向性を示した「提案型コンセプト」、そして市販車のティザーを兼ねた「量産プロローグ的コンセプト」の3つに分けられますが、ここでは純粋なコンセプトカーを中心に、知っているようで知らない雑学をお届けします。
コンセプトカーは「見せること」が最大の目的なので、必要最小限の走行もしくは実際に走行できないケースがほとんどです。しかし、なかには「これらの技術は夢物語ではありません」と実際にサーキット走行や高速走行が可能なモデルがいくつか存在します。
有名なのは日産「MID4」(1985年、1987年)やトヨタ「4500GT」(1989年)で、自動車メディアに試乗の機会も与えられたそうです。今とは時代が違うとはいえ、そのようなモデルにも関わらず社外の人間にステアリングを委ねた自動車メーカーの太っ腹ぶりにも驚かされます。
その一方で当初は市販予定のない純粋なコンセプトだったのに、ショーの反響の高さから急きょ市販化プロジェクトに変わったモデルもあります。
いすゞはその流れが最も多く、「117スポーツ」(1966年)→「117クーペ」(1968年)、「アッソ・ディ・フィオーリ」(1979年)→「ピアッツァ」(1981年)、「ヴィークロス」(1993年)→「ビークロス」(1997年)があります。
また、光岡のファッションスーパーカー「オロチ」(2001年)は、コンセプトカーとして出展した際に購入希望者が数十人出たことから市販化を決意、2007年に市販化されました。
市販車のさまざまな規則・基準をクリアしながらコンセプトカーのデザインを忠実に再現させる――その苦労は並大抵ではないと思いますが、「理想的なクルマを世に出す」という意味では、非常にピュアな形だと思っています。
逆に同じネーミングを冠していながらもコンセプトカー→市販車で「別物!?」というモデルも存在します。
例えば、日産「プリメーラX」(1989年)→日産「プリメーラ」(1990年)、トヨタ「RAV-FOUR」(1989年)→トヨタ「RAV4」(1994年)などがそうでした。これらはコンセプトカーがカッコ良すぎた例です。
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