ランボが目指したのはフェラーリではなくロールスだった!? 「エスパーダ」再評価【THE CAR】
2シーターのスーパーカーで名高いランボルギーニだが、創始者フェルッチオが本来目指したのは、フェラーリを超える高級かつ豪華なGTだった。そのフェルッチオの夢を形にしたのが、「エスパーダ」だったのかもしれない。
車名をスペイン語で闘牛士を意味する「エスパーダ」と名付ける
Writer:西川淳
Photographer:神村聖
フェルッチオは、成功したビジネスマンであり、才能あるエンジニアであり、そして熱心なカーガイであった。彼がマラネッロへの対抗心も露にスポーツカービジネスに乗り込んだ、というハナシは伝説だとしても、フェラーリの存在をまるで意識せずにコトに及んだとは考えられない。
●ランボルギーニが目指したのはイタリア版ベントレー
彼の野望は、フェラーリを超える高級かつ豪華なGT=グランツーリズモメーカーになること、であった。いわばそれは、イタリア版ベントレーであり、ロールス・ロイスであった。
そして、1960年代半ばといえば、世界的に好況の波が押し寄せており、フェルッチオはそこに十分な商機あり、と踏んでいたことだろう。
たとえばその時代、高級GTブランドのマセラティには「ギブリ」、「ミストラル」、「セブリング」、「メキシコ」、そして4ドアの「クアトロポルテ」までが揃っていた。マセラティ社の内実がどうであれ、“出せば何とかなる”と造り手に思わせた時代であったことは確かであろう。
興ったばかりの新参メーカーであるランボルギーニも早くから様々な可能性に注目していたはずで、そのなかには当然、4ドアモデルのスタディもあった。なかでも、1967年に発表されたベルトーネ作の「マルツァル」は、非常にユニークな大型ガルウイングドアをもつ4シーターカーで、(「ミウラ」とは違って)その斬新なスタイリングは、ランボルギーニとベルトーネの新境地を開くに十分なものであったと推測できる。
ランボルギーニブランドのデザインイメージを真に決定づけたのは、マルツァルだったのかも知れない。
フェルッチオにとっては、2シーターよりも4シーターの方が理想であったのかも知れない。ショーなどで好評を得たマルツァルの“実現”を目指したプロジェクトが早々に始まった。
当初は、真剣に大型ガルウイングの実用化も検討されたようだ。さすがに直列6気筒エンジン・リア横置きレイアウトは早々に諦められ、フロントに12気筒を押し込んだ、当時のランボルギーニとしては“常識的”なパッケージを採用したガルウイングのエクスペリメンタルカーがテストに供されていた。ジャン・パオロ・ダッラーラがエンジニアリングを担当した、その後の「エスパーダ」である。もちろん、スタイリングbyマルチェロ・ガンディーニだ。
結局、巨大ガルウイングが日の目をみることはなかった(誕生していれば今頃様々な伝説を残してくれたことだろう!)が、コンベンショナルな2ドアクーペボディとなっても、そのユニークさには目を見張るものがあった。
エスパーダの原案が、1967年のロンドンモーターショーで初披露されたベルトーネ・ジャガー「ピラーナ」であることは誰がどうみても明らかだ。
もっとも、そのこと自体は、当時、さほど珍しいことではなかった。デザインハウスとしてのカロッツェリアは、それこそ今でも、世界中の市販車両をベースに、オリジナルアイデアを“独善的”に披露し続ける存在である。
そのアイデアを、最終的には市販車として実現させることが彼らの目標であるのだから、あるカテゴリーのデザインコンセプトが古くならない限り、その時代のなかで、同じデザインを提案し続けるのが筋、というわけだった。
西川さんにお伝えください。 エスパーダの意味合いはスペイン語で「刀剣」のことです。闘牛士ではありません。 またエスパーだの 現車の リアフェンダーに付いている 車名のバッチが 刀剣を模した デザイン になっているのを見ていただくとより理解しやすいと思います。