モデルやダンサーまで! アルファ ロメオで活躍した歴代女性ドライバーを一挙紹介
ドライバーネーム「サヨナラ」の女性ドライバーとは?
アルファ ロメオを駆ってレースに参戦した彼女たちの偉業は、単なるスポーツの価値を超越し、先入観や障壁を克服する前例を作った。ここで紹介する女性レーサーたちはそれぞれが違う時代に活躍し、出自もさまざまである。
彼女たちに共通しているのは、パイオニア精神とレースに対する情熱、そして、恐れることなく新境地を切り拓こうとするチャレンジ精神である。
では、1950年以前に活躍した女性レースドライバーたちを紹介しよう。
●アダ・パーチェ(ドライバーネーム、“サヨナラ”):Ada Pace “Sayonara”

1950年代にはアルファ ロメオのステアリングを握って優れた成績を残した女性レーシングドライバーが存在した。トリノ生まれのアダ・パーチェである。
約10年に及ぶ彼女のレーサーとしてのキャリアのなかで、パーチェは国内選手権で11回の優勝を飾っている。そのうちの6回はツーリングカーで、残りの5回はスポーツカテゴリーでの優勝だ。
レースに出場するときパーチェは必ず“サヨナラ”というレーサー名を使っていた。
彼女はアルファ ロメオ「ジュリエッタ・スプリント・ヴェローチェ」とアルファ ロメオ「ジュリエッタSZ」をドライブしていた時代に頂点を極め、1958年にはトリエステ・オピチーナ・ヒルクライムレースで優勝している。

1930年代にアルファ ロメオはモータースポーツ界の主役に躍り出ていた。
高いパフォーマンスを発揮したレースマシンがその立役者であったことはいうまでもないが、それ以上に伝説的なドライバーたちがモータースポーツにおけるアルファ ロメオの名声をさらに高めていったのだ。
当時、タツィオ・ヌヴォラーリやアキッレ・ヴァルツィ、ルドルフ・カラツィオラにレイモン・ソメールなど、そうそうたるドライバーたちがしのぎを削っていた時代である。
なかでもソメールは1932年のル・マン24時間レースでアルファロメオ「8C 2300」を駆って優勝を果たしたが、同レースでアルファ ロメオ「6C 1750 SS」のステアリングを握って2リッタークラス優勝、総合で4位に入賞したオデット・シコを忘れてはならない。
若いパリジェンヌのシコは一躍レース界で脚光を浴びるようになり、レースでのパフォーマンスのみならずパドックでのエレガントな振る舞いも注目の的であった。
当時、同じフランス人女性ドライバーであったエレ・ニースともにスポットライトを浴びたふたりの女性ドライバーは、いずれもアルファ ロメオと人生が交差していた。

出生名はマリエッテ・ヘレーネ・デラングだったエレ・ニースは、レーシングドライバーであると同時にモデル、スタントウーマン、そしてダンサーでもあった。
社交的な性格だった彼女は当時、ロートシルト家やブガッティ家とも交流があった。
ニースは主にヨーロッパとアメリカのモータースポーツシーンで数々の戦績を残したが、車体にスポンサーのブランド名を掲示した初期のドライバーのひとりでもある。
1933年にモンツァで開催されたイタリアン・グランプリには、彼女自身が所有するアルファロメオ「8C 2300モンツァ」で参戦している。このレースはジュゼッペ・カンパーリ、バコーニン・ボルザッキーニ、スタニスラ・ツァイコウスキーがレース中に命を落とした悲劇的なレースとしても知られている。
1936年にはモンテカルロで開催されたレディース・カップに出走。同年にはサンパウロ・グランプリに出場し、大クラッシュを喫している。
●アンナ・マリア・ペドゥツィ:Anna Maria Peduzzi

アルファ ロメオの歴史はスクーデリア・フェラーリ抜きに語ることはできない。数々の「跳ね馬」ドライバーのなかで、フランコ・コモッティ、通称「モロッカン(モロッコ人)」の妻でコモ生まれのアンナ・マリア・ペドゥツィは数少ない女性ドライバーだった。
自身が所有していたアルファ ロメオ「6C 1500スーパースポーツ」は、彼女がエンツォ・フェラーリから直接購入したものだったが、彼女はこれを駆って様々なレースに参戦した。
1934年のミッレミリアでは1500クラスで優勝を飾り、戦後にはアルファ ロメオ「1900スプリント」とアルファ ロメオ「ジュリエッタ」で数多くのレースに出場した。
●マリア・アントニエッタ・ダヴァンツォ:Maria Antonietta d’Avanzo

第一次世界大戦が終戦を迎えてほどなくしてバロネス・マリア・アントニエッタ・ダヴァンツォがアルファロメオからモータースポーツ界へのデビューを果たした。
パイロットでありジャーナリストでもあったダヴァンツォは、イタリアのモータースポーツ界で女性レーサーのパイオニアである。
彼女は1921年にブレシアで開催されたレースでアルファ ロメオ「G1」をドライブして3位入賞を果たしている。
ダヴァンツォは当時のモータースポーツ界で輝かしい戦績を誇っていたエンツォ・フェラーリを含む男性レーサーたちの良きライバルであった。
ダヴァンツォはその後も様々なカテゴリのレースに参加し、その活躍は1940年代まで続いた。
Writer: VAGUE編集部
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