6000万円オーバー!! クラシック・ランボ「400GT」はこれからもっとプレ値がつく!

ランボルギーニが自動車メーカーとして創業したばかりのころの「400GT 2+2」は、「350GTV」からどのように進化したモデルなのだろうか。

トラクターからスーパーカーへ

 1960年代に、農業用トラクターの開発と生産で財を成したフェルッチオ・ランボルギーニが、次なる目標としたのは、長年の夢であった自動車メーカーの設立だった。

 彼は現在も本社が置かれている、ボローニャ近郊のサンタアガタ・ボロネーゼの地に自動車メーカー、アウトモビリ・フェルッチオ・ランボルギーニ社を創立するための土地を購入。自らの名を掲げた自動車を生産するためのファクトリーの建設を始めたのである。

●1967 ランボルギーニ「400GT 2+2」

「350GT」の楕円形2灯式から、丸型4灯式を採用した「400GT 2+2」(C)2020 Courtesy of RM Sotheby's
「350GT」の楕円形2灯式から、丸型4灯式を採用した「400GT 2+2」(C)2020 Courtesy of RM Sotheby's

 ランボルギーニからの第1作、「350GTV」は、1963年10月に開催されたトリノ・ショーで華々しくデビューを飾る。

 フロントに搭載されたエンジンは、フェラーリをライバルとするだけに、3.5リッターV型12気筒を採用。チーフ・エンジニアは、フェラーリで「250GTO」などの作を残したジョット・ビッザリーニであり、彼とランボルギーニとの間には、一定のギャランティのほかに、設定以上のパワーを得ることができたら、さらにボーナスが支払われるという独特な契約までもが結ばれていたという。

 ビッザリーニ作のV型12気筒エンジンがもっとも大きな特徴としていたのは、まだフェラーリも採用していなかったDOHCのカムシャフトレイアウトを実現し、各々のバンクのカムシャフト間にキャブレターを配置するという構造だった。

 最高出力は360psに達成し、フェルッチオを大いに満足させるが、実際のフィーリングはレーシングエンジンの如くピーキーで、フェルッチオが目指す高級GTのキャラクターには適さなかったようだ。

 フェルッチオはボディデザインに完全に満足していなかったこともあり、トリノ・ショーの終了を待たずに、350GTVをサンタアガタの本社へと引き上げてしまったという逸話も残っている。

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