バブル景気に躍った「テスタロッサ」「F40」「959」が残したものは何だったのか?

1980年代になると、フェラーリ「テスタロッサ」や「F40」が登場し、バブル景気の影響もあって、スーパーカーはマネーゲームの対象となる。新車価格の4、5倍のプレミアム価格で取引されていた第二次スーパーカーブームの主役となるクルマはなんだったのだろうか。

バブル景気とともに復活したスーパーカーブーム

 1970年代中盤、日本での第一次スーパーカー・ブームは、ブームの始まりがそうであったように、ある日突然沈静化してしまった。

 そもそも日本で第一次スーパーカー・ブームの波に巻き込まれていた頃、世界の自動車メーカー、とりわけスーパーカーを生み出すメーカーは、アメリカから端を発した環境汚染問題、石油ショック、経済不況と、さまざまな問題に対応するために、きわめて厳しい時代を生き続けなければならなかった。

 1970年代中盤から1980年代にかけては、スーパーカーにとっては、まさに苦難の時代であったといえたのだ。

バブル期には、2億円というプライスタグもついたフェラーリF40
バブル期には、2億円というプライスタグもついたフェラーリF40

 それでもスーパーカーを生み出すメーカーは、環境性能への対応とともに、スーパーカーとしての正常進化を止めることはなかった。

 例えば1980年代を迎えた段階で、フェラーリの12気筒モデルはBBシリーズの最終進化型である「512BBi」の誕生が目前であったし、8気筒の「308」シリーズも、次世代においてはクワトロバルブ(4バルブ)化という方向性は決定していた。

 対するランボルギーニには12気筒の「カウンタック」と、オフローダーの「LM002」、8気筒の「ジャルパ」があるのみだったが、カウンタックは1980年代に「LP400S」、「LP500S」、「5000QV」、「アニバーサリー」と進化を続け、フェラーリ・BBシリーズのライバルとして存在感を主張し続けた。

 第二次スーパーカー・ブームで大きな転機となったのは、1884年にデビューした2台のフェラーリ、BBの後継車となった12気筒ミッドシップの「テスタロッサ」と、発表時にはグループBのホモロゲーションモデルとも説明された「288GTO」の両車だろう。

 これらはいずれも完全なニューモデルで、フェラーリに新しい時代が訪れたことを、一時スーパーカーの存在を忘れていた、世界のカーマニアに知らしめてくれたのである。

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